2009年2月14日土曜日

死を前にしても奪われない平安

わたしは平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな」

ヨハネによる福音書14:27


バイブスタディのときに、上の言葉が開かれました。

この世の生活には、平安を奪われることや心が騒ぎ、おじけることがあります。

死を前にしても奪われない平安を持っておられたイエスは、そのような平安を与えると約束されました。事実そのような平安を持って、死を前にしても、心を騒がせることも、おじけることもなく、むしろ希望に輝いておられた方々にお会いいしたことがあります。

「ほんの少しだけでも心の平安をくれるなら、僕の持っているものを全部あげよう」という歌があります。

この世の富、権力、名声、成功、快楽その他、何を得ても、そこには本当の平安で心を満たすことはできないでしょう。

少しだけでなく、死でさえ奪うことの出来ない平安を、心に一杯持ちませんか。

吹上


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2009年2月12日木曜日

悲しみのうちにも、天国の希望を

神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。

黙示録21:3−4


シカゴの知人の死亡に続き、40年近いお交わりがあったSさんが召天されました。

入院中幾度もお見舞いしたことでした。9日(月)午前10時過ぎに、病室に入ると、長女のKさんがさめざめと泣いておられました。数分前にお母さんが息をひきとられたというのです。最後の祈りをするために手を置くと、お体の温かみがありました。お顔には安らかさが見られました。

今日までの長い人生には、様々な苦しみや、悲しみがあったことでしょう。でもそのすべてから解放されて召天されたのです。
Kさんは「母はどこに行ったかしっています」と,悲しみのうちにも、天国の希望を持っておられました。

Sさんは、この地上のどこよりもすばらしい、神との永遠の生活に移られたのであります。

ご遺族の上に、神の慰めを祈ります。


吹上


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2009年2月10日火曜日

百歳バンザイ!| わたしは生涯現役

「百歳バンザイ!」というテレビ番組があり、いつも楽しみに見ています。

先日は、現役で働いておられるお医者さんでした。食事中も資料に目を通しながら学んでおられました。頭を使い、体を使って、今も病める人のために働いておられるのです。

昨日は神戸フィラデルフィヤ教会の大嶋常治牧師の登場でした。わたしと同じ神学校を卒業された大先輩です。若い時のおもかげが残っていて懐かしく見たことでした。

もう53年ほど前になるのですが、大嶋牧師の案内で、ある施設を訪問したことがありました。肉体的に障害のある人々が多くおられる所でした。お見舞いに行ったのですが、そこに集われた方々の喜びに耀いて賛美されるお姿に接し、こちらが励まされ、力づけられたことでした。

詩人であられ、目が見えなくなっておられた方に、お会いする機会が与えられました。お別れるとき、縁側に座して蚊の鳴くような声で歌ってくださいました。

  かみともにいまして
  ゆく道をまもり、、、

    また会う日まで、
    また会う日まで、
    かみのまもり
    汝が身を離れざれ(賛美歌405番)

今も、その場面を忘れることはありません。

この番組のなかで、大嶋牧師が「わたしは生涯現役、これがモットーです」と語られた言葉が耳に残っています。

吹上

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2009年2月9日月曜日

私は明日を心配しない

あすのことを思いわずらうな。
一日の苦労は、その日だけで十分である

マタイによる福音書6;34



明日はどんな日になるのでしょうか。
私には一寸先も分かりません。

人生は、晴れた日ばかりというような、順風に帆をあげてという生きかたはできません。

嵐の中を通ることもあります。曇った、うっとしい日もあります。明日が心配になったり、不安や悩むこともあるでしょう。

でも明日を心配することはないのです。
明日を知り、私を守ってくださる方がおられるのです。

そのお方に従い、信頼すればよいのです。
晴れてもよし、曇りでもよし、嵐の中にも、私は守られることを信じます。

わたしの好きな賛美歌です。

  明日はどんな日か私は知らない
  晴れか嵐か曇りになるか
  私は明日を心配しない
  イエスが私を守られるから

吹上

2009年2月7日土曜日

シカゴからの死亡通知

一昨日、知らない方から手紙が来ました。

それは「数年前から、わたしの義母が、自分が死んだ時には、次の方々に通知してほしいという名前と住所のリストをもらっていました。その中にあなたの名前がありましたので、悲しいニュースですが、義母が亡くなりましたことをお伝えします」という内容でありました。

このシカゴからの死亡通知で、シカゴ時代の古い知人であったHさんの訃報に接しました。

1948年、二人の子供を連れてシカゴに住むようになられました。そこで親切な人に導かれてクリスチャンなられました。わたしもシカゴで学びと牧会をしているときにお会いしました。その後Hさんはサン マテオに移転されました。わたしも北加に住むことになり再会するという喜びが与えられました。

晩年、健康がすぐれず、再び娘さんの住むシカゴの郊外に戻られました。その後は年に2,3回の文通をやりとりし、いろいろと生活の様子を書いてくださいました。

ところが、一年ほど前からお便りがなく、どうかされたのかなあーと案じていたときに、死亡通知を受けて、驚いたことでした。

Hさんは関節炎の痛みもあり、手紙も書けなかったようです。ご遺族の上に、天父の慰めと、力づけを心からお祈りいたします。

吹上

2009年2月6日金曜日

ひたすら生きるために、楽しく

陶芸 釣り 囲碁
書道 住まいの手入れ
園芸 ゲートボール
老人問題、etc..

中高年男性が関心を持っている事柄だそうです。

Kさんは趣味を何一つ持たず(その時間もなく)仕事一筋に働き定年を迎えられました。今では無趣味35年を乗り越えて、夫婦で趣味三昧を楽しんでおられるます。(見事な変身です)

「あなたの趣味は何ですか」と問われるなら「読書です」と平凡なことしか答えられないほど無趣味なわたしです。釣りも好きでしたが、今は園芸でしょうか、それも除草ぐらいの芸で、芸になりません。(笑)

野菜作りも、ほんのわずかな野菜です。料理といっても自分が食べたいものを作る程度で、人様に食べてもらえるものではありません。(愛する妻も味見程度しか食べてくれません。少食なのか、おいしくないのか?)でも、ひたすら生きるために、楽しく料理を作っています。

時間が余って困るということもなく、楽しい定年生活を暮らしています。

吹上

2009年2月5日木曜日

定年後の自立

定年後の自立ということはよく言われます。

毎日の働きから解放されたものの、毎日の時間をどう過ごしたらよいのか分からない。奥様につききりで、あまり喜ばれない旦那さんもあると聞きます。

いつもの通勤のように、弁当をもって外出し、公園などを歩いて帰宅される人もあるという、うそのような本当の話を聞いたことがあります。

わたしの定年生活は12年ほどになります。後どれだけの生活が与えられるのか分かりません。あれもやりたい、これもしたいという気持ちはありますが、肉体的に無理ができなくなりました。でも、毎日、束縛されることのない楽しい生活が与えられています。

自立は自律。(自分のことは自分で律する)
自分で計画を立て、自分ひとりで生きていく。
会社や、人との中での生き方からひとり立ちする。

これらがわたしの自立の定義とゆうところでしょうか。定年後の生活をさらに豊かなものにし、第二の人生を謳歌したいと思っています。

吹上