2008年9月16日火曜日

試練は、神の愛と信頼へのしるし

静まって、わたしこそ神であることを知れ

詩篇46:10

試練は、神の愛と信頼へのしるしです。

私が堅く立ち、静かに神を待ち望むことを、神はどれほど喜んでくださるでしょうか。神が試練のない歩みを許されるとしたら、私はすばらしい霊的経験に導かれることがないでしょう。

多くの試練や苦しみは、神が私を信頼していて下さるしるしです。神は私が、その中で耐えることができると信じておられるのです。

神が守っておられるという目に見えるしるしがなく、敵にばかり良くしておられるように見える時にも、私が神に対して真実であり続けると信じておられるのです。

試練の中で私は、あわてず、静かに神を待ち望み、そして祈ります。

主に信頼した落ち着いた心を今日も与えたまえ、と..

吹上

2008年9月15日月曜日

主と共に歩む毎日でありますように

人の歩みは主によって定められる。

詩篇37:23

1)毎日は主によって定められているという歩みを間違いなく歩みたい。

2)自分の道を歩んではならない。

3)神がわたしの将来を一歩一歩共に歩んで下さり、導いて下さる事を祈る。

引退して以来、第二の人生と言うべきか、あるいは、第三の人生と言えばよいのでしょうか?日々、上の3つの事を肝に命じて生活しています。

ジョージ:ミューラは「人の歩みだけではなく、人が止まるところも主によって定められる」と言っています。

主はイスラエルの民が雲と火の柱によって導かれました。そして行くべき時、止まるべき時が示された。止まる時も進む時も、主の導きがありました。

進むべきときに止まったり、止まるべきときに進むことがなように、確かな主の導きを求めて祈りのうちに、新しい出発をして行きたいと願った引退生活..。

主は、わたしの引退後の生活をどのように導いて下さるのだろうか。

様々な思いはありますが、神より先に進むことのないように、神より遅れて従うことのない、主と共に歩む毎日でありますように..。


吹上

2008年9月13日土曜日

なにごとも

モーゼスさんは、78才になると、指先がこわばって刺繍針がもてなくなりました。

そこで絵筆をとり始め、農場生活の情景を細部まで正確に描き出しました。そして美術史に残る画家となりました。100才のときに「クリスマスの前の晩」の挿絵を完成しました。

世俗平凡老人のわたしには絵を描く才能などはなく、平凡な引退生活になりました。でも毎日が楽しく、読んだり、書いたり、自由気ままな生活をしています。

「サンディエゴ便り」は、今も書き続けています。与えられた多くの時間を大切に、有意義に使いたいと思います。気分転換のため庭仕事にも励んでいます。

といっても一時間もすれば休息がいる体になりました。無理をせず、あせらず、マイペースでやっています。

なにごとも。

吹上

2008年9月12日金曜日

わたしの引退生活

わたし自身の引退生活は、1997年9月からでした。

1 本をよむ時間が与えられたこと

2 書く時間が多く与えられたこと

3 庭での作業、家の修理ができること

4 料理やパン作りができる

5 趣味の時間ができたこと(楽しみとしてする事柄)

上は、わたしが引退生活をして感じた事柄ですが、時間に追われない、今までよりも多くの自分の時間が与えらました。

この他に、責任、プレッシャーからの解放を感じました。

今までの牧師としてのご用から完全に解放されたというのではありません。今も礼拝のご用に行くことがあります。しかし牧会という責任のある務めからの解放はあります。

どの職業にも、誰でも重い責任はあるのですが..。これは牧師をやった人でないと分からない事柄であるかと思います。

責任があることは、そのことによって、祈り、へりくだらなければならないこともありますので、恵みでもあります。

クリスチャンの皆様、あなたの教会の牧師の働きのために祈り、その働きをサポートし、奉仕に参加してください。には喜びもあります。

吹上

2008年9月11日木曜日

めずらしいこと

昨夜おそく帰宅しました。

何か久しぶりにブログに向かっているようです。ブログもだんだんと説教だけになってきたような気がします。よいのでしょうか?

5人の娘たちが揃うことは、結婚式(もう皆終わりました)か、わたしの葬儀ではないかと思っていました。ところがめずらしくも5女の誕生日に、その5人全員が集まってお祝いする事ができて、わたしたちもその仲間入りをしました。お友達も参加です。

よく食べ、しゃべり、よく笑う娘たち(友達も)の姿を見ながら、ここまで無事に育ってくれた、信仰を持ってくれたと感謝したことでした。孫たちも笑ったり,泣いたり(自分が誕生日のうたのピアノを弾きたいと)とにぎやかなことでした。

たったひとりで、48年前にアメリカの地を踏んだわたしでしたが、このような大家族?になったのです。

今日あるは、神の恵みであると神を賛美したことでした。今度ファミリー全員で集まるのは何時のことでしょうか?

毎日彼女たちの家族のために祈る私たちです。

吹上

2008年9月10日水曜日

ヨシュアについて

その従者なる若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋を離れなかった。

出エジプト記3:11

ヨシュアについて聖書はこう記しています。

彼の特徴を一言で表すならば「従者」であります。神が用いられる器は、どんな時にも従順
であることです。また彼は幕屋即ち神の臨在を愛する、礼拝を愛する人でした。

モーセの後継者として選ばれたヨシュアは、不安、恐れ、弱さがあったことでしょう。それゆえに神は「強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない」と幾度も語られました。

「さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼にいわれた「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている」と。(ヨシュア記13:1)

老いたヨシュアに神は休息しなさいとは言われませんでした。どんなに年を重ねても仕事があるのです。

体が不自由であっても、祈りという大切なわざが残されているのです。

吹上

2008年9月9日火曜日

勝利の秘訣は祈りにあり

エジプトで奴隷となって、悩み、苦しんでいたイスラエルの民を、救い出す指導者として選ばれたのはモーセでありました。

このモーセについてこう書かれています。

「モーセのような預言者はもう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された」(申命記34:10)

この偉大なる指導者モーセが死に、その後継者に選ばれたのはヨシュアであります。

マックレイは「一民族、また一教会の歴史において指導者が交代する時ほど重要な時はない。多くの人がこの時に失敗し、その働きの結果は消滅する」と言っておられます。

モーセの死は重大な危機にありましたが、後継者となったヨシュアによって、イスラエルの民は、乳と蜜の流れる約束の地カナン入国という偉業を成し遂げるのです。神の働き人は召されても、その働きは継続されて行くのです。

このヨシュアは、アマレクとの戦いの時には、モーセによって司令官として選ばれ、勇敢に戦い勝利を得ています。その背後にはモーセが手をあげて祈りをささげていました。(出エジプト記17:8−13)

教会の戦いの勝利の秘訣は祈りにあります。個人の信仰生活の勝利も同じように祈りにあります。

吹上