2008年12月31日水曜日

きようまでまもられ

われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。(詩篇90;9)

この一年もあっという間に過ぎ去ったようです。人の一生も、神の目からみればひと息のようであります。


飛び去るような早い一年でした。そしていろいろな事のあった年でしたが、今日まで守られ、導かれてきたことを心から感謝して、新しい年を迎えたいと思っています。

きようまでまもられ きたりしわが身
つゆだにうれえじ  ゆくすえなどは
いかなるおりにも  あいなるかみは
すべてのことをば  よきにし給わん(聖歌292番)

よわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年にすぎません。、、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

同90:10


一年の歩みを感謝して..


吹上

2008年12月30日火曜日

主に祭壇を築いたアブラム

アブラムは天幕を移してヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み、その所で主に祭壇を築いた。

創世記13:18

ロトと別れたアブラムは、ヘブロンに天幕(住家)を移し、そこに住みました。ヘブロンはエルサレムの近くで、高い所にあります。

移り住んだアブラムが、その所で最初にしたことは、主に祭壇を築いたことでした。このことは、アブラムが神と共に歩む生活を意味しています。

私にとっての祭壇とは、礼拝を守る生活、毎日の生活の中にデボーションがあるということです。

デボーションとは「静思の時」であり、聖書を読み、祈り、神と共に過ごす時間であります。神とお会いする特別な時間、デボーションを、日々持っことは信仰者には欠かせない大切なことであります。

ロトの目は、この世の豊かさに向かっていました。その果ては破滅でした。(そのことはいつか書きます)しかし、アブラムは神に目を向け、祭壇のある生活を選びました。

新しい年も、主に祭壇を築き、神と共に歩んで行こー!

吹上

2008年12月29日月曜日

すべての物を持っている

何も持たないようであるが、すべての物を持っている

コリント人への第二の手紙6:10


パウロは、この世の物質的なものは、何も持たない貧しい生活であったようです。しかし、キリストを持っていました。

「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている」(同4:7)

宝とはキリストであります。ゆえにパウロは「すべての物を持っている」と言えたのです。人は「土の器」であって、もろく、壊れやすい存在です。そのような器にすぎないにもかかわらず、キリストを持つ特権が与えられているのです。

キリストという宝は、宝の中の宝であり、永遠の宝であります。

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。(ヘブル人への手紙13:8)

いつまでもは、ある訳では「永遠に変わることがない」とあります。キリストを持っ人は、すべての物を持っているのです。永遠に生きる存在です。

神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3:16)

神より賜ったキリストを信じること(受けとること)によって永遠の命を得ることができるのです。

吹上

2008年12月27日土曜日

ヘロデ王の立腹

さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。

マタイによる福音書2:16


他の道をとおって自分の国へ帰って行った博士たちでした。そのことをヘロデ王はだまされたと思い、非常に立腹しました。

拝みに行けなかったからでしょうか。そうではありませんでした。キリストを殺す計画ができなかったゆえです。

そこで、非道で知られるヘロデ王は、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその付近の地方にいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺したというのです。(同2:16)
その二歳以下の男の子の中に、幼な子イエスはおられたのでしょうか。

博士たちが他の道をとおって帰って行ったのち、主の使いが夢に現れて「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」と告げました。そのことばに従って、ヨセフは夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプト行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていたというのです。(同2:13−15)

神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。

詩篇46:1


吹上

2008年12月26日金曜日

他の道をとおって

そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

マタイによる福音書2:12


他の道をとおって自分の国に帰って行ったのは博士たちです。

彼らは、ユダヤ人の王としてお生まれになったかたを拝むためにエルサレムにやって来ました。そのうわさを聞いたヘロデ王は不安を感じ、祭司長や民の律法学者たちを全部集めて、キリストはどこに生まれるかと問いただしました。

さらに、ヘロデ王はひそかに博士たちを呼んで、そのことについて詳しく聞き、ベツレヘムにつかわし「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」と言いました。
ヘロデ王にキリストを礼拝する敬虔な思いがあったのでしょうか。そうとは思いません。

博士たちは、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、非常な喜びにあふれ、ひれ伏して拝みました。そして、夢でヘロデ王のところに帰るなとのみ告げを受けて、他の道をとおって自分の国に帰って行ったのです。他の道をとおらないで、博士たちがキリストの誕生された場所をヘロデ王に伝えていたらどうなったでしょう。

わたしが、キリストに出会い、救われ、献身し、信仰に生きなかったら、どのような人生を歩いてきたでしょうか。他の道を歩み、今のような喜びにあふれた老後の生活はなかったでしょう。
キリストとの出会いを心から感謝します。

吹上

2008年12月25日木曜日

イエス・キリストのご降誕を心からお祝い申し上げます。

イエス・キリストのご降誕を心からお祝い申し上げます。

皆様の上に、神の愛が豊かに注がれ、喜びが一杯の日でありますように。

喜べないような事情や試練の中におられる方々の上に、神の慰めと、力づけ、癒しがありますようにとお祈りします。

キリストを救い主と受け入れて洗礼を受け、60回目のクリスマスを迎えます。初心に還りキリストに仕えて行きます。

吹上

2008年12月24日水曜日

救い主に会うまでは

救い主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた

ルカによる福音書2:25−26


この示しを受けていた老人シメオンは、正しい信仰深い人であり、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいました。そして救い主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていました。

彼が御霊に感じて宮にはいったときに、イエスと両親に会いました。シメオンは幼な子を抱き,神をほめたたえて言いました。

「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしの目が今あなたの救いをみたのですから。この救いはあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照らす啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」(同2:29−33)


私の人生は、この世の楽しみだけを求めていくのではなく、救い主に会うための人生でした。

イエスに出会い、神の救いを見たといって安らかに死んでいくことのできる人は幸いです。安らかに死んでいける道、その救い主イエス・キリスト様に出会いませんか。

「あなたの神に会う備えをせよ」(アモス4:12)

吹上