2009年1月31日土曜日

雪のように白くなるのだ

ユタ州のソルトレイクシティ(Salt Lake City)に住む知人からメールを受け取りました。

「こちらは大雪、15インチほど積もりました。空気も澄んで、一面真っ白の息を呑むような美しさです。雪が降ると、寒かったり、交通が滞つたり、嫌なこともありますが、それがなければ、この美しい景色を見ることもできないと、改めて思うことです」

お手紙のような、雪景色の美しさが目に浮かんできます。2年前にソルトレイクシティ市を訪ねたとき、ぼたん雪がしとしとと降る様子を見て喚声をあげたことでした。すべての汚いものも、真っ白に包みこまれていくのです。

サンディエゴのような暖かい地に住むものには、めったにお目にかかれない風景です。

雪のゆえに、困難なこともありますが、その雪なしには、目を見張るような銀世界は生じないのです。スキーも楽しめないのです。

人生にも、それがなければよいのにと思うような試練や辛い経験をするでしょう。でも、それがないと体験できない大切なこともあるのです。マイナスの一面だけを見るのではなく、そこにもプラスの一面があることを見つけて生きていくのです。

シカゴ時代に、子どもたちが雪の上で遊んでいる貴重な映像があります。(無声)それを最近DVDにして、娘たちが喜んで見ました。孫たちも、親の子ども時代を見て喜んでいました。
シカゴでは、車が埋まるほどの大雪を見たことがありました。

Hさん、お便りをありがとうございました。いろいろと雪に関することを思い出させていただきました。

「雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、、」(イザヤ書:18)

吹上

2009年1月30日金曜日

海を見て心をひろげたいなー

海はひろいな おおきいな


子どものときに歌ったものです。

海をみると心が大きくされるような気分になります。私は海をみて育ってはいませんが、海を見るのは、山をみるのと同じほどに好きです。

アメリカにくるとき、三週間ほど貨物船に乗って、サンピドローニューヨーク経由で来ました。毎日海を見る、いや海だけを見て過ごしました。荒れる海の上を、不安な気持ちで五日間、食事をする元気もなく床に伏していました。今でも忘れらない航海でした。かがみのような静かな海を見たこともありました。

晩年は、以前に10年住んだことのあるサンディエゴで暮らしています。

もう昔のことですが、海を見たときに(太平洋)この海の果てには日本があると思い、ホームシックになったことがありました。(21年日本に帰っていなかったのです。)その日本に心を向けながら、休日には魚釣りに行ったものでした。最近は海風が冷たく感じられる体になったので、好きな釣りからも遠ざかっています。

釣りの話しですが、釣り名人のことばを聞きました。「釣れるか、どうかな」と迷っている時は釣れない、釣れる、釣ってやるという積極的な思いで釣ることだというのです。

人生もその心意気で生きることだと教えられました。

心が狭くなると、海を見て心をひろげたいなーと思うことがあります。

吹上

2009年1月29日木曜日

残された人生

山を見上げるのが大好きです。

若い時は山登りを楽しみました。でも、それは決して楽なことではありません。山道を登ることは危険でもあります。落石があり、毒へびに出合うこともあります。でも山頂にたち、四方の絶景を見たときに、今までの苦労を忘れてしまうのです。

最近は、テレビで、その山頂からの景色を見ることがあります。しかし困難を耐えて、登りきった人が見たときの感動とは、テレビで「きれいだー」というのとは大きな差があります。それは雲泥の差といってよいでしょう。

どんな困難な山道でも、そこには先人が歩いた足跡があります。その道を一歩づつ踏み続けるならば、必ず頂上に達することができるのです。

人生も同じではないでしょうか。平坦な一本道ではありません。前途には障害が幾つも置かれています。
今日までの、わたしの歩みにも山あり、谷あり、風雨あり、晴天ありでした。でもそれはわたしだけの苦難な道ではないのです。多くの人々が通った道であります。その足跡を一歩一歩踏みしめて行くことです。

残された人生は、それほど遠くはありません。終着に近いのです。やがて天の絶景を見ることでしょう。そこは、死も、悲しみも、叫びも、痛みもない場所です。

吹上

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2009年1月28日水曜日

自ら笑う老朽の身

「自ら笑う老朽の身」

良寛和尚が自分を評したことばがあります。老朽という字には目がとまります。(老いを感じるからでしょうか)

わたし自身の考えですが、子どもを愛し、子どもに親しまれた良寛さんは、老いの身になっても童心を失わないかたであり、そのことを喜び、笑っておられるのでしょうか?それとも、われながら老いていく身を笑っておられたのではないでしょうか?

いつまでも幼稚であっては困り者です。しかし子どものような純真な心=童心を持続することはよいことです。

オトナは王様が裸であることを認めながらも王を恐れてそのことが言えず、権力の前に沈黙するだけです。お世辞を言ってほめるのです。

でも子どもは正直に裸を告げるのです。子どもには黒は黒で、白には見えないのです。

老朽の身ではありますが、肉体だけが朽ちていくのであって、心は日々に新たにされて、子どものような素直さ、正直さを持続したいです。

心をいれかえて幼な子のようにならなければ

マタイによる福音書18:3


吹上


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2009年1月27日火曜日

がん苦楽部

わたしは「がん苦楽部」の会員になっています。

このがん苦楽部は、がんで戦っているお互いが、祈り、励まし合うために発足されました。月に2回ほどの会報が発行されていて、がん患者の病状や、証し、祈りの課題、メッセージなどが書かれています。

自分ががんになっていなくとも会員になれるということ、がんで戦っているひとびとのために祈りのサポートができるということで参加しています。

病んでいても、健康であっても苦楽を共にし、励まし合って生きようというのです。

わたしの両親ががんで地上を去っています。それですこしでもがんの知識を持ちたい、また何か手助けができればと思っています。さらに自分死の準備をしなければと思うことです。

「がん苦楽部」命名の所似「病気は本来苦しいものですが、そこに神の栄光があらわれるとき、苦をも楽しむ者の群れとされる」という意味です。

毎金曜日の午後3時には、どこであっても心を合わせて祈ることになっています。

あなたもがん苦楽部に参加されませんか。

吹上

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2009年1月26日月曜日

心の準備、死の準備

文芸春秋2月特別号のT氏(評論家)とT氏(ジャーナリスト)の対談を読みました。お二人共にがん患者でありますが、実に冷静に病を観察し、笑いを口にしながらの対談でありました。

また「がん残日録」−告知から死まで五百日の闘いーG氏(ジャーナリスト)の生と死の記録も書かれていましたが、自分ががんになったら、こんなに冷静にしておられるかなーと思いました。がんになったらもう一度読みたいと思い、切り取ったほどでした。

わたしが、がんに関心をもっのは、両親ともにがんで地上を去ったからです。母は子宮がんで、父は胃がんでした。両親の体質を受け継いでいるならば、わたしもがんになる可能性は高いということです。そのようなことで、すこしはがんの知識があってもよいし、心の準備、死の準備をしておくのもよいのではと思っています。

「わが涙よ わが歌となれ」(原崎百子著)という本も、がんになったら読みたいと、目の前に
置いてあります。

がんを恐れるのではなく、がんと共に生きるという姿勢でありたいと願っています。

母の末期がんは、肉体的に激しい痛みの伴うものでした。当時は(1959年)今のように痛みに対する処置はなかったようでした。(家庭にて養生)まさに苦痛との闘いでした。それでも母は最期まで耐え忍び、平安と感謝、喜びのうちに天に凱旋しました。死に勝利した母に、悲しみの涙の中にも慰められたことでした。
自分もそうありたいと願うものです。

吹上

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2009年1月23日金曜日

昔とった杵柄

わたしは年よりも若い肉体だと、自分勝手に思っています。

75才の人でも、65才の若々しい肉体を持っている人もあれば,84才の老いた肉体を持っている人もあります。

6週間前に、サクラメントの娘宅で、かなりのペント塗りを手伝いました。自分で思っていたほどには疲れませんでした。

シカゴ時代に、アルバイトでペイント塗りをし、学費を得ていたことがありました。やさしいようで、肉体的には体力のいる作業で、その時のコツが、今になっても役立つたというわけです。

「昔とった杵柄」という言葉があります。昔やっていたから、年をとった今でも腕に自信があるということです。

若いときに身につけたことは、いつか、どこかで役に立つものです。大工仕事も好きです。でも道具がないので、本箱作りや、箱庭を作る(そこによい土を入れて、野菜を作る)ぐらいです。

ペイントを塗り、きれいにすること、物を作ることは楽しいひとときです。気分転換になり、ストレスがたまらず、若返る秘訣でもあるのです。

吹上


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2009年1月22日木曜日

上着と書物

あなたが来るときに、トロアスのカルポの所に残しておいた上着を持ってきてほしい。また書物も、特に、羊皮紙のを持ってきてもらいたい。

テモテの第二の手紙4:13


この手紙はパウロの晩年のものであり、いつ殉教するか分からない時に書かれました。
事実その覚悟をしていました。「私が世を去る時はきた」と記しています。(同4:6)

暗くて、寒い地下牢にいたであろう、老いたパウロが「上着」を求めていることは分かります。しかも「書物も、特に羊皮紙のを」と要求しています。遠いアジアより持ってきてくれるようにと頼んでいるのです。

クリュソストモスは「もうすぐ神のもとに旅立とうとする彼が、何のために本を読む必要があったのだろうか」と言っています。

ホスピスに入院する人の余命は、数ヶ月であるといわれています。そのターミナルステージにあっても、本を読み続ける人々があるというのです。この期に及んでと思うのですが、「好奇心が旺盛で」と答えられるというのです。

わたしも同じように、最後が近づいても、本の本であるバイブルを読みたいです。読めなくても、だれかに読んでほしいです。

「上着は持ってきてもらわなくてもよいです。」バイブルを静かに読み聞かせてください。

吹上


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2009年1月21日水曜日

読書の楽しみ

ひさしぶりに新本「シニアの読書生活」鷲田 小彌太著を買いました。

60歳からの最高の贅沢な生き方!をと願って書かれた本です。題名にもひかれて買いました。読む楽しみはこれからです。1500円の本ですが、22ドルの支払いでした。

アメリカに来た当時は、1ドル360円でした。(先日アメリカ人の若いDR.に、そのことを話すと信じられないと言っていました)10ドルも送金すれば10冊ほど本が買えました。少しでも余金ができると、せっせと本を買ったものでした。今は10ドルでは1冊の本も買えません。

それで、最近はBOOK:OFFに行って、古本を買うことにしています。1500円もするする本が1ドルで買えるのです。読みたい本を見つけた時の喜び、しかもたったの1ドルですよ!うれしくなります。(知る人ぞ知る、その喜びを)本好きのわたしには感謝、感謝です。もっと買いたいのですが(読みきれないのに)「家にある古い本で、まだ読んでない本があるでしょう。それを読めばよいでしょう」とやんわりと言われています。その通りですが、でも近くに行くと立ち寄りたくなるのです。本に近づかないとよいのです。ほんにそうです。(笑)

でも読書の楽しみはやめられません。1ドルですから、、。

吹上

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2009年1月20日火曜日

頬を打つ者に

昨日は(1月19日)は、Martin Luther King Jr.Dayでした。

1955年、キング牧師は人種別に席がわかれていたバスの乗車を一年間ボイコットしました。その行為は、高い犠牲を伴いました。家には爆弾が投げ込まれ、彼自身は警官に襲われて逮捕されました。しかし、キング牧師は報復せず、最後には暗殺されます。

自分なら、右の頬を打たれたら、左を向ける事が出来るのでしょうか。頭ではそう考えていても、実際に叩かれたら,なにーと手向かうのではないかと思います。実際にその場面に出会わないと分かりませんが、、。願わくは左を向けたいと思うのです。

相撲には、相手の頬を叩く「張り手」があります。引退した力士が、その場面をみていて「自分が現役のときには、2回張り手をされたら、かっとなって3,4回張り返しました」と言っておられました。

そうだろうなー。それが人間だと思いながら聞いていました。でも、もう一つ、頬を向ける勇気をもたなければ、そのような力が与えられるようにと祈らなければと反省したことでした。

吹上

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2009年1月19日月曜日

ことば

ことばは死んだ  口にされた時  という人がいる
わたしはいう  ことばは生き始めるまさにその日に

エミリ:ディキンソン


ことばは口から出たら消えていきます。
でも、そのことばを聞いた人には生き続けることがあります。
批判され、傷ついた心は、いつまでもそのことばを覚えているかもしれません。
ほめられたこと、励まされたことばは、そのことばで人に勇気を与え、力を与え、喜びを与えることがあります。

知恵があることば、正しい者の舌、人を養い、慰め、励まし、力づけることばを語りたいと切に願います。

吹上

言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者には知恵がある。正しい者の舌は精銀である。正しい者のくちびるは多くの人を養い..

箴言10:19−21

2009年1月17日土曜日

肩書き

わたしは今まで名刺を持っということがほとんどないありません。(一度婿さんが作ってくれたことがありましたけど、、)ゆえに訪日したときに困るのは「名刺を持っておられますか」と求められることです。

名刺には、名前だけでなく、00会社とか、肩書きが記されています。

定年退職したあとに、自分で「元00株式会社部長」と肩書きをつけ、初対面の人に渡している人もいるそうです。肩書きがないと、リタイア後の生活は肩を落として生きるということになるのでしょうか。

肩書きを除いて、肩を張らず気楽に自分の趣味や働いている時には出来なかったことを楽しむ時、肩書きがモノを言うという考えからもっと自由になり、楽しく生きられるのではないでしょうか。

わたしは人間的魅力のある世俗老人になりたいと思っています。後ろのものを忘れ、前のもの、新しいことに挑戦して歩めばと思っています。

親しみを込めて「フランクさん」と気軽に声をかけてくださる方がいます。とても嬉しいです。

吹上

2009年1月16日金曜日

愛で満ちている生涯

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。

イザヤ書43:4


嫌われるために生まれる人はないでしょう。まれにはそのように思う人もあるでしょう。でも、そうではないのです。愛されるために生まれたのです。愛してくださるかたがおられるのです。

あなたは高価で尊い。あなたを愛していると語っておられるのです。その声が聞こえませんか。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか、自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」(イザヤ書49:15)

たとえ母親に忘れられても、あなたを忘れないかたがおられるのです。なんと大きな慰め、うれしいことでしょう!

過る日曜日の礼拝で歌われた歌詞です。

  きみは 愛されるために生まれた
  きみの 生涯は 愛で満ちている

神様はいつもわたしに愛を告げています。

吹上

2009年1月15日木曜日

声の「瞬発力」

継続は力であります。

でも一つのことをやり続けることは決して易しいことではありません。体力も、年を重ねると自然に衰えていきます。

O氏は、体力持続ではなく、声の「瞬発力」を大切にしておられる方です。

年をとると、連日歌うということはできなくなるが、声の瞬発力は年々増えてくると言っておられます。そして、年を重ねるにしたがい(努力もされているのでしょう)歌に磨きがかかり、深みのある演技となるようです。

政治の世界にも、かなりの年令とみえる人々が活動しておられます。それは今までの経験や判断力などが必要とされるからでしょう。

若さも、体力も、記憶力も衰えていくわたしです。でもそのことにばかりを気にするのではなく、まだ出来ることに磨きをかけて「瞬発力」を増していきたいです。

わたしは大声だけが取り得のようです。耳の遠い方が、よく聞こえますと喜んでくださいます。ただ大声だけではなく、話しの内容にも磨きをかけなければと思っています。

吹上

2009年1月14日水曜日

心の新化

たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新たにされていく。

コリント第二の手紙4:16


年を重ねて、老いていくと、当然外なる人、肉体は衰えていきます。さらに心までも老いていく場合があるのではないでしょうか。

若いときには経験しなかった心の弱さ、変化を覚えることがあります。しかし、内なる人は日ごとに新しくされるというのです。心は強くされ,、生き生きとされ、喜びにあふれて老いを過ごすことができるのです。

わたしは、衰えるのは肉体だけであって、心の老化はないようにと、日々を新たに歩んでいきたいです。

ガードナ:ティラ師が89才の時に体調を崩しました。メッセージもできなくなりました。彼は「初めはとてもがっかりしたよ」と語っていましたが「しかし、何事も季節があり、時代がある。全力を尽くしてそれを見極め、それぞれの良いところを見つけるべきだ」と言いました。

どんなにがんばっても、肉体の衰え、老いをさけることはできません。しかし心の老化はさけたいです。そして日々心を新たにして、残された人生を生きたいと願っています。

吹上

2009年1月13日火曜日

家の子三百十八人

テレビの木のかたわらに住んでいたアブラムのもとに、戦争からのがれてきた人が、ロトや家族の者たちが敵に捕らわれ、持ち物もすべて奪われてしまったと告げました。

身内の者が捕虜になったことを聞いたアブラムは、自分がそのような災難にあわなかったことを喜んだのでしょうか。そうではありませんでした。そのことに心を痛めたアブラムは「訓練した家の子三百十八人を引き連れてダンまで追って行き」ました。(創世記14:14)

家の子とは、主人アブラムを信頼し、いざとなれば主人のために命を捨てる覚悟のある僕たちでした。

彼らは夜の来るのを待って、敵を攻め、これを撃って、すべての財産および女たちと民とを取り返しました。(同14:15)

少数であっても、一致協力して、一丸となれば大きな力を発揮することができるのです。命がけの行動をとったアブラムと三百十八の僕たちの姿に、愛の強さを教えられます。

吹上

2009年1月12日月曜日

Pさんのメモリアルサービス

Pさんは、私よりも2年と一日年上でした。その彼のメモリアルサービスに参列しました。

サンディエゴ教会で結婚されて、3年という短い生活でした。勧話の中で語られました「もし再婚されなかったらPさんは、(子供さんがなく)寂しい3年を過ごされたでしょう」と。

その3年間、二人が仲良く手を取り合って礼拝を守られました。礼拝後、いつも笑顔でしっかりと握手をしてくださった手のぬくもりを、今もはっきりと覚えています。また心の温かい人柄で、楽しい会話をしたことでした。

晩年は健康的に弱さがありましたが、酸素ボンベを持って礼拝を守られたこともありました。そして何よりも主を愛し、教会を愛しておられたよい証し人でした。

いつ召されてもよいという備えをしておられ、死ぬことを恐れてはおられませんでした。残していく伴侶のことを案じておられました。メモリアルサービス中すすり泣きをしておられたHさんでした。主よ、彼女を支え、守ってあげてくださいと祈るのみでした。

Pさん、天国で会いましょう。その時はあなたのあの笑顔で、しっかりと握手をしてください!

吹上

2009年1月10日土曜日

捕虜となるロト

そこで彼らはソドムとゴモラの財産と食料とをことごとく奪って去り、またソドムに住んでいたアブラムの弟の子ロトとその財産を奪って去った

創世記14:11−12


アブラムと別れたロトは、豊かな土地に移り住みました。ところがその周辺に大きな戦争が起こりました。バビロン方面の四人の王たちが同盟をして攻めてきました。こちらは五人の王たちが同盟して戦いました。

ソドムに住んでいたロトは、その戦争に巻き込まれます。敵は、最も豊かに繁栄していたソドムとゴモラを荒らし略奪しました。そしてロトも彼の家族もとりこになりました。

財産と食料だけではなく、ロト自身も捕虜となりました。ソドムは、ロトが目で見える豊かな土地であるゆえに選び、そこに住んだ場所でしたが、無残にも荒らされることになったのです。

しかし、アブラムはこの戦争とは関係なく、平和な生活をしておりました。そのアブラムのもとに、ロトや身内の者が捕虜になったという報告が届きました。アブラムはどのような行動をとるのでしょうか。(続く)

吹上

2009年1月9日金曜日

たとえ途中で落ちることがあっても

とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。
                         
申命記33:27


カルヴィン:クーリッジ大統領は「十個のトラブルが道の向こうからやってくるのが見えても、そのうちの九個までが途中で溝に落ちる」と言いました。

九個の実現しないことを思い煩い、不安をもって心配することは精神的にもまた健康にもよくないことです。

わたしは明日を知ることはできませんが、明日を知っておられる方があられることを知っています。その方に信頼して生きていくだけです。

たとえ途中で落ちることがあっても、下には受けとめてくださる腕があるのです。これからもそのことを信じて、前向きに生きるのです。

今日まで、そのみ腕に受けとめられ、支えられてきたのですから..

吹上

2009年1月8日木曜日

わたしも財産家です!

苦しみにあったことは、わたしに良い事です。 

詩篇119:71


テレビを見ていて、「不幸は財産」という字幕を書き残しました。

その人は中学生の時に3週間ほどホームレスをした体験があり、公園で過ごし、空腹のためにパンを盗んで食べようと思ったこともありましたが、親のことばを思い出してとどまったというのです。

食べられる、風呂に入れる、寝る場所がある、そんな日常の事さえ出来ない、辛い環境に身を置くことによって、その何でもない日々のことに感動し、それが財産だというのです。

このテレビ番組を見終わり、わたしにも数え切れないほど沢山の財産があることを教えられました。痛みのないこと、食べること、雨露をしのぐ場所があること、歩けること、友人があること、等々。

わたしも財産家です!

吹上

2009年1月7日水曜日

七十、八十が働き盛り

年若い者も弱り、かっ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはってのぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることがない。

イザヤ書40:30−31


「五十、六十はハナ垂れ小僧、七十、八十が働き盛り」

わたしは、まさに働き盛りの年令です。もう77才とは言わず、まだ77才で働き盛りですと言わせてもらいます。

「もう」には、終わりが近いようで、何もできないということでしょうが、「まだ!」と言い切ってしまうと、自分自身にシャキっとした前向きな姿勢が感じられます。

パウロは「わたしはすでに捕らえたとは思っていない、ただ一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、、(ピリピ人への手紙3:13−14)
と言っています。

背中がまがってくる年令です。でも背筋をしゃんと伸ばし、今年も天という目標を目ざして走って行きたいと念願しています。

お祈りください。

吹上

2009年1月6日火曜日

麗しく楽しいこと

見よ、兄弟が和合して共におるのは
いかに麗しく楽しいことであろう。 

詩篇133:1


新しい年を迎えました。今年は幸いにも2日から4日まで、毎日集会があり、みことばを聴く機会が与えられました。例年ならば土曜日の二回の聖会で終わるのですが、今年は一泊3回の聖会がありました。

講師も日本から来られたK師でした。聖書のなかの三つのたとえ話しを選び、分かりやすく、自らの体験から、実際的な生き方について語って下さいました。

心に残る内容であり、考えさせられ、悔い改めさせられるものでした。特にK師の住んでおられた所での大震災による人間の心理、行動、不安、その他はよい学びでありました。もっと多くの人々に参加してほしいと思ったことでした。

4日は例年のように、日英合同礼拝でした。満席で、もっと大きな教会堂がほしいと思いました。ことばは違っても、同じ信仰をもって、神を心から喜び、賛美しました。詩篇133:1節のみことばのように「麗しく楽しい」ときでした。

O師のメッセージは、パワーポイントを用い、よい例話もあり、後の物を忘れ、目標を目ざして走り、一事を努めるということでした。新しい年を歩み出すわたし達に指針となる内容でした。
感謝!

今年も目標に向かって、神の賞与を得ようと努めていこー!

吹上

2009年1月5日月曜日

サツマイモ

私は植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である

コリント第一の手紙3:6


サツマイモを見ると、私は戦前、戦後の食料難時代を思い出します。

当時サツマイモは貴重な食べ物でした。イモを食べるよりも、そのイモの葉を食べる生活でした。ゴボウのよな細いイモでも見つけたら、大喜びしたことでした。

狭いわが家の裏庭に、サツマイモの切れ端を肥料として埋めました。ところが芽を出したので、戦争中のことを思い出し、イモの葉を食べてみようかと思い、水をやり育てました。でも食べることはしませんでした。きれいなので鑑賞のつもりで育てていました。やがて葉が茶色に変化してきたので、きれいに除きました。

先日そこに野菜のくずを埋めようと土を掘ったら、何とサツマイモが出てきました。しかもその一つはおどろくような大きなものでした。
「おどろき、桃の木、さんしょの木」とうたいながら、その巨大なるイモを家内に見せると「ウワー」とおどろいていました。期待もしてなかった収穫でした。(来年もイモを植えようと決心)

みことばの種を播けば、知らないところで実を結ぶこともあるのではないでしょうか。


吹上

2009年1月3日土曜日

わたしのお正月

「もう幾つ寝るとお正月、お正月には」という歌のように、指折り数えてお正月を心から待った子供時代を思い出しています。

アメリカでは2日から普通の生活に戻りますが、昔の日本は5日頃まで、お正月気分で過ごしたことでした。(今はどうなのでしょうか)

子供のときは、凧を揚げ、羽子板で遊び(負けると顔に墨をつける)カルタ取り、ミカン取り(針に糸を通し、ミカンのふくろに投げつけて刺し、自分のところに引き寄せるゲーム)等、よく遊んだものです。

そして、何よりも「お年玉」をもらうのが、一番の喜びでした。昨日は久しぶりにその「お年玉」と書かれた袋を頂き、なっかしい子ども時代を思い出しました。

それからお正月料理です。「おふくろの味」がもう一度味わいたいです。お煮しめを作ってみましたが、今年も母と同じ味はだせませんでした。

わたしのお正月で欠かせないものは、京都風のお雑煮です。白みそで味をつけ、餅と小芋だけで、鰹節をたっぷりとのせてるというシンプルなものです。これを食べることで、わたしのお正月が来たことになるのです。


吹上

2009年1月2日金曜日

喜び歌う者

朝には、あなたの変わらぬ愛で、私たちを満足させ、生涯にわたって、喜び歌う者としてください。  

詩篇90:14(現代訳聖書)


朝ごとに、神の変わらない愛で満たしていただくことにより、生涯にわたって、喜び歌う者になれたらと思った朝です。

主よ、そのような生涯に導いてください!

心から歌っている人には喜びがあふれています。神の愛で満足した心になったら、喜びがわき、賛美が口から出るでしょう。

今日も、喜び、感謝にあふれて、主をほめたたえます。

吹上

2009年1月1日木曜日

主と共に歩む喜び

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

皆様の上に、神の豊かな祝福がある2009年でありますようにとお祈りいたします。
本年もどうか、愛と祈りのサポートをよろしくお願いします。

わたしに与えられた今年のみことばは、

この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です。(ネヘミヤ記8章10節)


もう一つ

「主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい」(ピリピ人への手紙4章4節)


主ご自身を喜ぶこと、主にあって、主と共に歩む喜び、そのような一年を願っています。

吹上