2008年12月31日水曜日

きようまでまもられ

われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。(詩篇90;9)

この一年もあっという間に過ぎ去ったようです。人の一生も、神の目からみればひと息のようであります。


飛び去るような早い一年でした。そしていろいろな事のあった年でしたが、今日まで守られ、導かれてきたことを心から感謝して、新しい年を迎えたいと思っています。

きようまでまもられ きたりしわが身
つゆだにうれえじ  ゆくすえなどは
いかなるおりにも  あいなるかみは
すべてのことをば  よきにし給わん(聖歌292番)

よわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年にすぎません。、、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

同90:10


一年の歩みを感謝して..


吹上

2008年12月30日火曜日

主に祭壇を築いたアブラム

アブラムは天幕を移してヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み、その所で主に祭壇を築いた。

創世記13:18

ロトと別れたアブラムは、ヘブロンに天幕(住家)を移し、そこに住みました。ヘブロンはエルサレムの近くで、高い所にあります。

移り住んだアブラムが、その所で最初にしたことは、主に祭壇を築いたことでした。このことは、アブラムが神と共に歩む生活を意味しています。

私にとっての祭壇とは、礼拝を守る生活、毎日の生活の中にデボーションがあるということです。

デボーションとは「静思の時」であり、聖書を読み、祈り、神と共に過ごす時間であります。神とお会いする特別な時間、デボーションを、日々持っことは信仰者には欠かせない大切なことであります。

ロトの目は、この世の豊かさに向かっていました。その果ては破滅でした。(そのことはいつか書きます)しかし、アブラムは神に目を向け、祭壇のある生活を選びました。

新しい年も、主に祭壇を築き、神と共に歩んで行こー!

吹上

2008年12月29日月曜日

すべての物を持っている

何も持たないようであるが、すべての物を持っている

コリント人への第二の手紙6:10


パウロは、この世の物質的なものは、何も持たない貧しい生活であったようです。しかし、キリストを持っていました。

「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている」(同4:7)

宝とはキリストであります。ゆえにパウロは「すべての物を持っている」と言えたのです。人は「土の器」であって、もろく、壊れやすい存在です。そのような器にすぎないにもかかわらず、キリストを持つ特権が与えられているのです。

キリストという宝は、宝の中の宝であり、永遠の宝であります。

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。(ヘブル人への手紙13:8)

いつまでもは、ある訳では「永遠に変わることがない」とあります。キリストを持っ人は、すべての物を持っているのです。永遠に生きる存在です。

神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3:16)

神より賜ったキリストを信じること(受けとること)によって永遠の命を得ることができるのです。

吹上

2008年12月27日土曜日

ヘロデ王の立腹

さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。

マタイによる福音書2:16


他の道をとおって自分の国へ帰って行った博士たちでした。そのことをヘロデ王はだまされたと思い、非常に立腹しました。

拝みに行けなかったからでしょうか。そうではありませんでした。キリストを殺す計画ができなかったゆえです。

そこで、非道で知られるヘロデ王は、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその付近の地方にいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺したというのです。(同2:16)
その二歳以下の男の子の中に、幼な子イエスはおられたのでしょうか。

博士たちが他の道をとおって帰って行ったのち、主の使いが夢に現れて「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」と告げました。そのことばに従って、ヨセフは夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプト行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていたというのです。(同2:13−15)

神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。

詩篇46:1


吹上

2008年12月26日金曜日

他の道をとおって

そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。

マタイによる福音書2:12


他の道をとおって自分の国に帰って行ったのは博士たちです。

彼らは、ユダヤ人の王としてお生まれになったかたを拝むためにエルサレムにやって来ました。そのうわさを聞いたヘロデ王は不安を感じ、祭司長や民の律法学者たちを全部集めて、キリストはどこに生まれるかと問いただしました。

さらに、ヘロデ王はひそかに博士たちを呼んで、そのことについて詳しく聞き、ベツレヘムにつかわし「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」と言いました。
ヘロデ王にキリストを礼拝する敬虔な思いがあったのでしょうか。そうとは思いません。

博士たちは、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、非常な喜びにあふれ、ひれ伏して拝みました。そして、夢でヘロデ王のところに帰るなとのみ告げを受けて、他の道をとおって自分の国に帰って行ったのです。他の道をとおらないで、博士たちがキリストの誕生された場所をヘロデ王に伝えていたらどうなったでしょう。

わたしが、キリストに出会い、救われ、献身し、信仰に生きなかったら、どのような人生を歩いてきたでしょうか。他の道を歩み、今のような喜びにあふれた老後の生活はなかったでしょう。
キリストとの出会いを心から感謝します。

吹上

2008年12月25日木曜日

イエス・キリストのご降誕を心からお祝い申し上げます。

イエス・キリストのご降誕を心からお祝い申し上げます。

皆様の上に、神の愛が豊かに注がれ、喜びが一杯の日でありますように。

喜べないような事情や試練の中におられる方々の上に、神の慰めと、力づけ、癒しがありますようにとお祈りします。

キリストを救い主と受け入れて洗礼を受け、60回目のクリスマスを迎えます。初心に還りキリストに仕えて行きます。

吹上

2008年12月24日水曜日

救い主に会うまでは

救い主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた

ルカによる福音書2:25−26


この示しを受けていた老人シメオンは、正しい信仰深い人であり、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいました。そして救い主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていました。

彼が御霊に感じて宮にはいったときに、イエスと両親に会いました。シメオンは幼な子を抱き,神をほめたたえて言いました。

「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしの目が今あなたの救いをみたのですから。この救いはあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照らす啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」(同2:29−33)


私の人生は、この世の楽しみだけを求めていくのではなく、救い主に会うための人生でした。

イエスに出会い、神の救いを見たといって安らかに死んでいくことのできる人は幸いです。安らかに死んでいける道、その救い主イエス・キリスト様に出会いませんか。

「あなたの神に会う備えをせよ」(アモス4:12)

吹上

2008年12月23日火曜日

喜びの日

彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。

マタイによる福音書2:10


東からきた博士たちが、エルサレムに着いたとき「ユダヤ人の王としてお生まれになったかたは、どこにおられますか」と尋ねました。

このことを聞いたヘロデ王は不安を感じました。その後、博士たちはベツレヘムに出かけたとき、東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいるところまで行き、その上にとどまりました。

博士たちはその星を見て「非常な喜びにあふれた」というのです。

彼らは家に入り、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬などの贈り物をささげました。(マタイによる福音書2:1−11)

羊飼いたちに告げられたことばは「すべての民に与えられる大きな喜び」でありました。博士たちは星を見て「非常な喜びにあふれた」とあります。それは星そのものよりも、導かれた所で、幼な子イエスに出会えたことによる非常なよろこびであります。

クリスマス、それは非常な喜びの日であります。わたしたちのために救い主がお生まれになった日です。

吹上

2008年12月22日月曜日

恐れるな

恐れるな、見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える

ルカによる福音書2:10


クリスマスのメッセージは「大きな喜び」であります。

羊飼いたちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた時、主の御使いが現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れました。

その羊飼いたちに、御使いが最初に語ったことばは「恐れるな」でありました。恐れていないものに、このことばは意味がありません。しかし、主の栄光の光に照らされて非常に恐れていた羊飼いたちにとっては、大きな慰めのことばであります。

今は、不安と恐れがただよっている時と言えるでしょう。経済的な不安、人間関係の問題、仕事の不安定、テロの問題、その他多くの不安と恐れがあります。

「恐れるな」という言葉が語られています。それを聴くひとには平安が与えられるでしょう。

次に、「見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを伝える」と語られました。
その大きな喜びとは「きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである」(同2:11)

キリストの誕生、それは大きな喜びのおとずれであり、救い主の誕生であります。しかも「すべての民に与えられる大きな喜び」であります。わたしの救い主であるキリストを心に受け入れ(信じ)大きな喜びをもって、クリスマスをお祝いしましょう。

吹上

2008年12月20日土曜日

歩きかた

あなたがたの歩きかたによく注意して、、賢い者のように歩き、、。

エペソ人への手紙5:15


昨日は車中からの見学を書きました。もう一つの見学は、歩きかたでした。

急いで歩いている人、走っている人はほとんどありません。ゆっくりと自分のペースで歩いている人、背中をピーンとして歩いている人、背中を曲げて歩いている人(少ないです)それぞれのスタイルで歩いておられます。

自動車を意識しないで、しゃべりながら真ん中を歩いている人たちをよく見ました。

歩きかたとは、生きかたでもあります。「歩きかたによく注意して」とは、生き方に気をつけることです。賢い者のように歩くとは「神にならって」生きることです。

「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい」(同5:1)
                                    
「キリストの福音にふさわしく生活」することです。(ピリピ人への手紙1:27)


そのような生きかたをするには「今の時を生かして用い」ること「主の御旨がなんであるかを悟り」「御霊に満たされて」(エペソ人への手紙5:16−18)いくことです。

今日も歩き方に気をつけて行こー(かっぱさんにならって)

吹上

2008年12月19日金曜日

顔と服装

家内が買い物をしている間、車の中から店に出入りする人々を見ていました。

アメリカは人種の坩堝といわれる国ですから、顔も種々であります。それぞれの国柄を表現しているようです。疲れた顔ではなく、いそいそと楽しく歩いている顔が多いように思いました。

家族が帽子をかぶっている人々、肌寒い日であるのに半袖の人、そうかと思うと真冬に着るような厚着の人、自分の好きなものを着ておらるのでしょう。

日本では、男性は黒い服にネクタイ姿が多いようですが、ここではほとんどネクタイ姿の男性を見ませんでした。髪の毛の色も白髪の人,黒髪の人、金髪、銀髪の人々と様々です。

買い物で歩き回っているよりも楽しい見物でした。かくゆう自分はだぶだぶのズボンにぞうりばきで、人の中に出て行けない姿でした。(それで車中からの見学?でした)

自動車の前をゆうゆうと歩いていく人、わたしなら自然に走ってしまうのですが、、。わが道を堂々と歩いている人の姿に学ばなければと考えていました。でもその場になるとやっぱり小走りすることでしょう。

環境でしょうか、育ちでしょうか、自分の性格でしょうか、何年アメリカにすんでいても、若い時の習慣が出てしまうようです。

アメリカ人になれない(なるつもりもないのですが)日本人気質のしみついた世俗老人のわたくしでございます。

吹上

2008年12月18日木曜日

ブータン(インドとチベットに挟まれた王国)の人は、日本人の顔によく似ていると言われます。ところが現地に行って、よく見ると両者の違い(特徴)がよく分かってくるというのです。

「ブータンの人は日本人によく似ているが、ずっと透明感がある。日本人の顔からいらいら、こせこせ、せかせかの感じを取り去って、日焼けした顔にすればこうなるかな、などと思います」と現地を訪ねた人が書いています。

いらいら、こせこせ、せかせか、これが日本人の特徴でしょうか?たまたまにしか訪日しないわたしにはくわしいことは分かりません。

今回の訪日中、一度ですが通勤時間帯に、電車に乗ったことがあります。まさに通勤地獄?のようでした。入口に立っていると奥に押し込まれ、身動きが出来なくなり、体が傾いたまま立っていました。これではいらいらさせられることでしょう。

駅の構内や、人通りの中を歩いている人も、せかせかしている様でした。(走っている人もいます)電車のなかで、座している人々、立っている人々の顔は疲れている様でした。じっと神経質にみっめている人々もよく見かけました。

ゆとりのある顔をしている人、幸せな顔をしている人は少ないような気がしました。自分もそんな顔に見られているのではないかと思いながらの感想です。

吹上

2008年12月17日水曜日

いろいろなことを体験

無事サンディエゴに帰りました。旅の安全のためにお祈り下さったことを感謝します。

シャトルからサクラメントの南にあるElk Groveに移転してきた次女の家族を訪ねました。

6日のサンディエゴ空港は、晴天でしたので(日本行きのように霧の問題はない)無事に離陸しました。ところがサクラメント空港は濃霧のために視界はゼロに近いものでした。(わたしの目では)それでも飛行機は下降しました。窓にしがみつくようにして外を(地上を)みるのですが何も見えませんでした。

これで大丈夫なのかしらと案じたことでした。すると突然滑走路が見えたと思ったら、一秒ぐらいでしょうか、瞬間に地上にタッチしたのです。そのとたにガクンと大きな音がして、体が飛び上がるような衝撃を感じました。乗客はあーと叫んだことでした。(わたしもでした)でもしばらくして拍手があり、笑い声が起こりました。

このような大きな衝撃は初めての経験でした。飛行中もひどいゆれでしたので、静かに心のなかで祈っていました。

16日の夕方は、問題なくサンディエゴ空港に着陸しました。最近3回も空港で、いろいろなことを体験しました。

人生何が起こるか、一瞬先が分かりません。

吹上

2008年12月13日土曜日

こうしなければ

一途で、まじめな人は「こうしなければ」という特別な考えにとわれやすいのではないでしょうか。

白か黒か、イエスかノーかをはっきりしたいのです。また、こうしたいということができない、希望どおりにならないということで失望して、生きることに疲れてしまいます。

Must−ねばならないと考えてしまうこともあります。「しなくてはならない、こうなければ、、」とがんばるのではなく、別の方法を考えてみることも良いのではないでしょうか。

世俗老人はこの歳になってはじめて、人生は、一つだけの道があるのではなく、違った道、別の生き方もあるのだとゆうことが解ってきました。

挫折があれば考え直して、他のやり方や、生き方を探してみてはどうでしょうか。

私にも一途なところがありますが、また、ふまじめなところもあります。それでこの道、あの道をと手探りをしながら、今日まで生かされてきました。これからもそう生かされていくことでしょう。

吹上

2008年12月12日金曜日

イエスさまのことばに聞き従いませんか

人をさばくな。自分がさばかれないためである。

マタイによる福音書7:1

人のことばに心が動かされます。特に批判的なことばによって心が傷つきます。でも建設的なことばであれば、それは有意義です。

私は人をさばき,単なる批判に過ぎないことばなら、口に出さないほうがよいと思っています。人の徳を高め、勇気を与えるようなことばを語るものでありたいです。

人をさばけば、同じように自分もさばかれることになるでしょうし、人の良さを認め、励ましのことばを語るなら、人も私を励まし、勇気づけてくれる事でしょう。

なんでも批判したい人がいます。批判したい人の言葉に心をうばわれそうな時、あなたを愛し、理解し、励ましてくれる人のことばに耳を(心を)傾けることです。

「人をさばくな」と教えられたイエスさまです。わたしを、あなたをさばかず、ありのままで受け入れてくださるのです。

イエスさまのことばに聞き従いませんか。前向きな、建設的な人生が与えられます。

吹上

2008年12月11日木曜日

目を上げて

ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと

創世記13:10


ロトがアブラムと別れた後に、主はアブラムに言われました「目をあげてあなたのいる所から北,南,東、西を見わたしなさい」と。(同13:14)「目を上げて(10節)「目をあげて}(14節)

ロトとアブラムの目の上げかたは同じではありません。ロトの目は、潤っている土地を、この世的な豊かさ、欲をもって見ているのです。そして、その土地を選びました。ロトは、目に見えるもの、目先のこと、この世的な豊かさ、自分の欲をもって見ました。

アブラムは、主のことばに従って、信仰的な目をもって見ました。土地よりも、神を見るということでしょうか。アブラムは、信仰によって、目先のことよりも、世的な豊かさよりも、神にある豊かさを、未来のこと、永遠のことを見ての選びでありました。

吹上

2008年12月10日水曜日

あえて選ばれたのである

そこでロトはヨルダンの低地をことごとく選びとって東に移った。

創世記13:11


アブラムの申し出は、ロトが左に行けば、わたしは右に行くということでした。

ロトは目を上げてヨルダンの低地を見ました。そこはエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っているところでした。ロトはその肥沃の地を選び、そこに移っていきました。

アブラムは神にすべてをゆだね、優先権をロトに与えました。彼は目に見える選択をしませんでした。

ロトは信仰による選択よりも、目に見えるもの、この世の豊かさに向けられていました。


神は,知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである

コリント人への第一の手紙1:27−29


私の好きなみ言葉「神は,無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」

「あえて」とは、知らないで選んだというのではありません。無きに等しい者、無力な者であることを、よくよく知っていて選んでくださったのです。そうでなければ、私などは選ばれなかったでしょう。

主よ、感謝します!


吹上

2008年12月9日火曜日

勇気を出しなさい

あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝っている

ヨハネによる福音書16:33


この世の生活には、数々のなやみがあります。そして勇気を失うこと、恐れを持つことがあります。ではどうすれば、そのなやみや、恐れに勝ち、問題に立ち向かうことができるのでしょうか。

「勇気を出しなさい」と語られるイエスさまのことばを聞くことです。この方は、数々の試練に勝利をされたのです。わたしたちに勇気を与えることができるのです。その勇気を持って問題に直面し、困難や試練を乗り越えていくのです。


神に勇気を与えられて、しりごみをせず前進しましょう。

世に勝っておられるお方の「勇気を出しなさい」とのお言葉を信じて。

吹上

2008年12月8日月曜日

蛇口をきちっとしめる暮らし

人々がじゅうぶんに食べたのち、イエスは弟子たちに言われた「少しでもむだにならないように、パンくずのあまりを集めなさい」

マタイによる福音書6:12


イエスはパンの残りを捨てないで集めるようにと言われました。今は残飯整理などはなく、捨てられることが多いようです。わたしはもったいない精神旺盛です。(それで肥りすぎです)


「幼いころの思い出では、母は水をむだにしなかった。歯を磨くのはコップ一杯の水ときまっていた。蛇口をきちっとしめる暮らしの中で育った。一度使った水もむざむざ捨てるとおこられ、お米のとぎ汁は洗濯に使い、野菜のゆで汁は植木鉢にやるという暮らしでした」

女優の沢村貞子さんの随筆に書かれている文章です。

わたしも、同じような思い出があります。水不足のため大切に使ったこと。一粒の米もむだにしなかったこと。(幾日も米を食べない日がありました)その他。

先日のことですが、あまりにも水代の支払いが多いので、米のとぎ汁や、風呂の水までも畠に運びました。でも老人には重労働なのでやめました。(笑)今の生活はむだが多いようです。

戦中、戦後の質素な生活を経験した私ですが、贅沢になれると、欠乏の時代がやってきたら耐えるのが困難なことでしょう。

「わたしは飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に処する秘訣を心得ている」(ピリピ人への手紙4:12)

吹上

2008年12月6日土曜日

絶対に、絶対に、絶対にあきらめるな

最後まで耐え忍ぶ者は救われる

マタイによる福音書10;20


私は物事が長く続かない、忍耐が無い、粘り強さがない、あきらめることの早い人間です。

でも、信仰だけは試練の中にも耐えて、今日まで持ち続けてこられました。主の許に召される時の、最後まで(死に至るまで)持続したいと祈っています。

英国のチャーチル首相は「絶対に、絶対に、絶対にあきらめるな」ということばを座右の銘としていました。

あきらめない、粘り強い、スポーツの世界ではそれが勝利を得る道です。

人生の戦いにも、同じことだといえるでしょう。人生には障害がつきものです。試練や困難もあります。しかし、あきらめず、夢を抱き、前進していくことです。

ゴールドラッシュの時、土地を買い、何日も堀り続けたのに、金鉱は見つかりませんでした。あきらめて土地を売りました。ところが、その土地を買った人が、さらに掘り続けたところ、一メートル先から金鉱が発見されました。もう少し辛抱して、堀り続けていたら、億万長者になっていたのです。

あきらめないで、もう一メートル先に進みませんか。

吹上

2008年12月5日金曜日

逆境の日には

逆境の日には考えよ
順境の日には楽しめ
逆境の日には考えよ  

伝道の書7:14

人生は順境の日々ではありません。必ず、いつかは逆境の日がやってきます。これが世の常です。

順境の日には楽しみましょう。そうでない逆境に日には考えましょう。

では、何を考えたらよいのでしょうか。

逆境はいつまでも続くのではないこと。試練にはのがれる道があることです。

あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道を備えて下さるのである」(コリント第一の手紙10:13)


「雨風は材木を強くする」という格言があります。またナポレオン・ヒルは「すべての逆境には、それと同等かそれ以上に大きな恩恵の種が含まれている」と言っています。逆境にさらされて、人は強くされ、逆境の大きな恩恵に預かるのでしょう。


「患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを、知っているからである」(ローマ人への手紙5:3−4)

逆境の日には考え、喜びましょう。それはマイナスではなく、プラスになる、何かを私たちに生みだしてくれるからです。

吹上

2008年12月4日木曜日

目標達成に向かって

あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト:イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。

ピリピ人への手紙1:6


このみことばが与えられ、早期退職をされたU兄は、神学校に入り、卒業後10年ほど牧会をされ、健康すぐれずリタイヤーされました。

あなたに、良いわざを始められた神は、目標達成のために知恵や力を与えて、それを完成して下さるのです。(年令にかかわらず)

あなたの目標は何でしょうか。その目標に向かって全身全霊を打ち込むならば、神のたすけによって実現するのではないでしょうか。

「できるはずがない」
「誰もできなかった」
「失敗するにちがいない」

などの言葉に支配されないで、神によって可能となると信じて、目標達成に向かって進み出してみませんか

吹上。

2008年12月3日水曜日

神と人とを全身全霊で愛する

ジョン:ロックフェラーは「幸せを手に入れる方法」は二つの単純な原理にあると言っています。「まず、自分にとっての興味のあることで、しかもうまくできることを見つけ、次に、それに対して全身全霊を打ち込むだ」と。

自分にとっての興味あることは何か?
あれか、これかと考え込んでしまいます。

さあ、全身全霊をもって打ち込める、何かを探そう!

あなたも探してみませんか。

イエスは言われました「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイによる福音書22:37−39)

神と人とを全身全霊で愛する、そこに幸せがあるのではないでしょうか。

吹上

2008年12月2日火曜日

望みを捨てない

信仰の迫害を受け,捕らわれ身であったパウロは、ローマ帝国の最高権威者カイザルのもとで裁判をうけるために、船で行くことになりました。その船には276人が乗っていました。ところが航海の途中で暴雨に遭遇しました。

パウロは三度も難船し、一昼夜海の上を漂ったことがありました。その体験から、航海するのは危険な季節であると提言しました。しかし、百卒長や人々は、パウロの意見よりも、船長や船主の方を信頼しました。

「時に、南風が静かに吹いてきたので」(使徒行伝27:13)船出しました。順風に乗っての航行でしたが「すると間もなく、ユーラクロンと呼ばれる暴風が、島から吹きおろしてきた」(同27:14)というのです。そのために積荷や船具までも投げ捨てました。

「幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった」(同27:20)というのです。嵐のために、人々は14日も食事をしないほどでした。

そこでパウロは「元気を出しなさい」と励まし、また食事をすることをすすめ、自らパンを取り、みんなの前で神に感謝し、それをさいて食べはじめました。(同27:35)そこで、みなの者も元気づいて食べはじめました。

最後には船は浅瀬に乗りあがりましたが、全部の者が上陸して救われました。

最後まで望みを捨てないことです。

吹上

2008年12月1日月曜日

雨にぬれそぼち

数ヶ月も雨の降らないサンデイェゴですが、めずらしく恵みの雨が降りました。静かな夜中に、雨の音を聞くのも久しぶりでした。

雨の多い日本ではぬれるのは好まれないことでしょう。

こちらでは、子供たちは喜んで雨の中を歩いています。雨にぬれない日が多いので、珍しい雨のゆえに喜んでぬれるのでしょう。

雨にぬれそぼちという聖歌があります。(499番)

あめにぬれそぼち たどる世のみち
わが荷たえがたく おもきおりしも
主なるイエス君 みかおかがやき
負える荷はいつか きえてあとなし

あめにぬれそぼち(濡れてびしょびしょになること)この世の道をたどる足どり、しかも背中には重荷を負い、やりけれない思いになっている姿です。

そんなときに、イエスさまの輝くみ顔を仰ぎ見ることができたら、その重荷は消えていくのです。
雨に濡れ、重くなった荷を背にして、遠い道をたどたどしく歩く生活から、輝いた希望と喜びに満ちた人生を歩いてみませんか。そんな人生があるのです。

主にすがるわれに なやみはなし
十字架のみもとに 荷をおろせば
うたいつつあゅまん ハレルヤハレルヤ
うたいつつあゅまん この世のたびじを (498番)

吹上

2008年11月29日土曜日

平和と感謝の心を持つ人に

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。、、また感謝の心を持つ人になりなさい。

コロサイ人への手紙3:15


平和な心が持てたならば、また感謝の心で過ごせたら、毎日が豊かな人生となることでしょう。

しかし、平和な心を乱されることの多い日々の生活です。感謝な心を持つよりもつぶやきや、不満を持つことがあります。

平和が心に満ちることは、それはイエス・キリストの平和を心に満たすことです。
どんなときにも平和そのものであられたイエス様を心の中にお迎えすることです。

私は「感謝」と「生きる」ということばが大好きです。でも好きであることと、現実に感謝して生きていることとは別であります。感謝して生きることを日々の生活の中で実行したいと祈り、励んでいます。


「すべての事について、感謝しなさい」(テサロニケ人への第一の手紙5:18)これは神の求めておられることです。

「私は心を尽くして主に感謝します」(詩篇9:1)

「信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい」(コロサイ人への手紙2:7)

キリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでくださいますように

エペソ人への手紙3:17


今日もイエス様にある平和と感謝にあふれて生きていきます。


吹上

2008年11月28日金曜日

今年の感謝祭

今年の感謝祭(2008年11月27日)は、アメリカに住むようになった私にとっては49回目になります。当日は大きなターキー(七面鳥)を食べる習慣になっています。(食べない家庭もありますが)

最初の感謝祭のお話は世界的に有名なお話です。

アメリカ合衆国ではリンカーン大統領が、1863年11月の第四木曜日を感謝祭と認め、今日に至っています。

私たちは、四女の家に、三女と五女の家族と共に集まり、ターキー(スモーク)ハム、ローストビーフ、日本食、パンキンパイその他をご馳走になりました。(わたしたちは、もう自分の家でご馳走を作ることから解放されました) 

これからは、クリスマスに向けての残された一ヶ月を過ごすことになります。

吹上

こだわり

おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。

ピリピ人への手紙2:4


自分の正しさ、自分のやり方を通したいときがあります。それにこだわることがあります。そのこだわりが、他の人と合わない時に問題となることが多々あるようです。

自分のこだわりをあくまで断固として通すのではなく、相手の意見や、他人のこだわりにも耳を(心も)傾けることには必要です。

互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう

ヨハネによる福音所3:35


イエス様の心にこだわりたいです。

イエスの弟子であるならば、お互いの間に愛があるのです。

イエスの愛を人々に示すことを優先させたいと願います。

今日も自分のこだわりを優先させてしまうことがないよう祈っていこー!(これはかっぱさんのこだわりのフレーズでした)

吹上

2008年11月27日木曜日

慰めの言葉

わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救いとのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである

コリント人への第二の手紙1:6


M牧師は、長い間病床にあった夫人を看病されました。その病床でひとり聖書を読んでいたときに上のみ言葉が心に留まったというのです。その後、夫人は天に召されなさいました。

夫人が闘病中、また亡くなられてからもそうですが、M師は「ときどき辛い言葉を聞きました」というのです。そのことを次のように書いておられます。

「これは神さまの計画ですから、神さまの栄光が現れますように」とか「万事を働かせて益としてくださるから、頑張ってください」という励ましの言葉をかけて頂いた時、私の心にはいやな思いしか残りませんでした」


この記事を読んで、自分も、慰めのつもりで語ったことばが、人の心を痛めるような「つらいことば」であったのではないかと反省させられています。

主よ、あたなの慰めの言葉をを語るものとなるようにお導き下さい。

吹上

2008年11月26日水曜日

患難の中にある人々を慰める力

神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである

コリントへの第二の手紙1:4


あらゆる患難の中にある人々を慰めることが出来たらどんなにすばらしいことでしょう。

神は、どのような患難の中にいる時でも私を慰めて下さいます。その慰めをもって、他の人を慰めることができるようになるというのです。

患難も知らず、その中での神による慰めを体験することなしに、本当に人を慰めることができるでしょうか。

患難に出会った時、神よりも人の慰めを求めやすいものです。いかなる患難の中に置かれても、神による慰めを求めた時に本当の慰めが与えられ、患難に耐える力が与えられます。

そして、そこから患難の中にある人々を慰める力を頂くことができるようになります。

吹上

2008年11月25日火曜日

富よりも神を第一に

どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます

創世記13:9


アブラムとロトとは長い間、共同の生活をしてきました。

ところがお互いの持ち物がふえることによって、牧者たちとの間に争いが起こるようになりました。そのことで心を痛めたアブラムは、お互いに別れて生活をする方が最善であると思いました。

アブラムの提案によって、ロトに優先権を与えました。「あなたが左に行けばわたしは右に、右に行けばわたしは左に行きます」と言うのです。

アブラムはロトの伯父であります。ロトはアブラムに従ってきた甥です。その関係から見れば、優先権はアブラムにあります。ところが彼はロトにそれを与えるのです。そのことはアブラムが、物を第一に考えていないということでしょう。

富よりも神を第一にしていると思います。また人との平和な生活を考えているのでしょう。ゆえに優先権を喜んで、ロトに譲ることができたのでしょう。

ロトはその優先権を使い「すみずみまでよく潤っていた」(同13:10)土地を選びます。後にそこは大きな問題となる土地です。

吹上

2008年11月24日月曜日

争いの原因

アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちの間に争いがあった

創世記13:7


牧者たちの争いは「彼らの財産が多かったため」(同13:7)とあります。

持ち物が豊かであることはよいことです。ところがアブラムとロトの持ち物がふえることによって、狭い谷間に住むことが困難になってきました。それが牧者たちとの間に争いが起きるようになりました。

貧しい時には、お互いに助けあったことでしょう。楽しい交わりもあったでしょう。その関係が、持ち物のゆたかさによって破れてしまいました。

財産があることは悪ではありません。ところが財産があるゆえに重荷となることも生じるのではないでしょうか。

物の乏しい時は、お互いに助け合って生活をしていたのに、人と人との間に財産が入ってくることによって、それが壊れることもあるのです。

それは昔も、今も変わらないものであって、世間様でよく見られることであります。


吹上

2008年11月22日土曜日

心の冷静な人

言葉を少なくする者は知識のある者、
心の冷静な人はさとき人である。

箴言17:27



私は生まれつきの無口者、言葉の少ないものです。でも知識のある者ではありません。

子供のころ、お客さんが来られると、押入れの中に身を隠したほどです。(それが牧師になったとは)

私はさとき人ではありません。心の冷静などは、どなたかの言葉ですぐに吹き飛んでしまいます。お湯がわくほどかーっとなります。(こころでなく、頭が)とにかく気が短いという欠点があります。そんな時は祈って心を静めるのです。それがなかったら、今日までどれだけの人に傷を与えてきたことでしょう。

感謝なことに、祈ることによって心の冷静を与えられてきたことです。頭にきた時は、冷静な心が与えられるよう祈りましょう。

主よ、これからも心の冷静な人となれるようお助けください。

吹上

2008年11月21日金曜日

日々、重荷を負って下さる方

ほむべきかな、日々、私たちのために、重荷をになわれる主。

詩篇68:19


今日の日課として読んだみことばです。人生は重荷を負って歩いています。軽い荷もあれば、自分で負いけれないと思うような重荷を負わされることもあるでしょう。

でも、主は、日々(毎日)私のためにその重荷を負って下さるのです。感謝です!

主をほめたたえます。

イエスのことば「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイによる福音書11:28)

制限された重荷ではありません。どんな重荷でも、また、どんな人でも、苦労している者は、わたしのもとにきなさいと招いておられるのです。重荷を下ろしてからきなさいではないのです。重荷を負ったままで、そのままで招きに応じたらよいのです。

今日まで、どれだけの重荷を負ってもらったことでしょう。イエス様、これからも私の重荷を負い続けて下さるをあなたを信じ、頼っていきます。

よろしくお願いします。

吹上

2008年11月20日木曜日

どんな時も、喜んで、感謝して

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。

テサロニケ第一の手紙5:16−18

ここ数日、まるで真夏がやってきたような暑さです。私は暑さにも寒さにも弱いので体が疲れます。

老いてくると、暑い寒いの温度によって大きく左右されるようです。動作がにぶくなるのに、気候の変化には敏感に影響されるようです。私だけでしょうか?

暑くても、寒くても、若い時は飛び廻っていたのにと思うことです。暑い時はじーっと耐え忍び(エアコンがないので)寒い時は動きまわれば、体があたたかくなるでしょう。

言いたいことは、どんな天候でも(雨の時も晴れた時も)暑い寒いの時でも、生きていることを感謝するということです。

かっぱさん風に言うなら、どんな時も、喜んで、感謝して生きていこー..ですね。

吹上

2008年11月19日水曜日

人生はイエスとの出会いで決まる

見よ、兄弟が和合して共におるのは
いかに麗しく楽しいことであろう。

詩篇133:1



神学校を卒業して、渡米するまでの5年間、わたしは二つの教会で奉仕をさせていただきました。一つは大原教会であり、もう一つは津山の高倉教会であります。(どちらも岡山県)

今回の訪日では、その大原教会と、母教会(京都信愛教会)で、礼拝のご用をいたしました。またなつかしい人々との再会が与えられました。

高倉教会は、渡米する前までご用をしたところです。そこにも行きました。N牧師とご令息(牧師)に、津山駅で迎えていただきました。

高倉教会では、すでに皆様が待っていてくださいました。数10年ぶりにに会う方々、Kさんには実に48年ぶりの再会でした。今日まで信仰を持ち続けて来られた方々です。

この高倉教会は、故郷伝道のために、シカゴから訪日されたKご夫妻の働きによって生まれました。このK夫妻との出会いが(大原時代)後に、わたしのアメリカ行きになったのです。

「人生は出会いで決まる」と言われますが、まさにわたしの人生はKご夫妻との出会いによって大きく転換しました。

イエスとの出会いは、もっと大きな転換となるのです。

吹上

2008年11月18日火曜日

かっぱ人からの手紙

ブログが一冊の本になった「かっぱ人(びと)からの手紙」を頂きました。参考になると思い、感謝して読みはじめました。

かっぱさんのブログは、聖書のことばが初めに記され、最後には「行こー」「いこー」となっています。

拝読した後、私はかっぱさんのように面白い文章が書けないなぁ、かっぱさんは若い人なのだろうか?などと考えこんでしまいました。(わたしは古い人間のようです?)

かっぱさん、学ばせていただきます。Mさん、よい本(見本書)をありがとう!

結論: 私はわたしなりに、世俗老人流に書いて行こー!

吹上

2008年11月17日月曜日

死に備えた日々を

友はいずれの時にも愛する

箴言17:17



京都信愛教会で礼拝ご用を終えたあと、わたしが60年前に洗礼を受けた時からの友達が集まってくれました。メール交換をしている人や、日曜学校で教えた生徒たち(もう60才以上になっておられる)も加わってくれました。

信仰の友であり、お互いに苦しい人生を通ったことでしょうが、それを越えて生きてきた明るい人々であります。時間を忘れて、いろいろと語り合うことができました。

わたしよりも若いのに,主人や奥様を天国に送られたかたがたも数人おられました。

死に備えた日々を送らなければならないと痛感したことでした。

吹上

2008年11月15日土曜日

53年前に教えた京都弁のうた

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ

伝道の書12:1


大原教会の礼拝でメッセージを伝える前に二人の姉妹が賛美をしてくださいました。

それは日曜学校で教えた「主われを愛す」の京都弁の賛美でした。教えたことを忘れているわたしでしたが、お二人は覚えていてくださったのです。ここで(岡山県)生まれ故郷の言葉で、賛美を聞くとは驚きでした。

53年と言えば、長い年月です。

その当時は一日中村々で子供たちに聖書の話しをしたことを思い出しました。

その時に播かれたみ言葉が、また賛美が覚えられているのです。また信仰に生きておられるお姿に大きな喜びを覚えました。

幼いときに、みことばを教えられることは大切です。

しかしながら、子供たちが集まらないというのが日本の教会の現状のようです。せめてクリスチャンの子供たちが、信仰を受け継いでほしと祈るものです。

吹上

2008年11月14日金曜日

長いーことかかったよ

主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます

使徒行伝16:31


私は53年前に、大原教会(岡山県)で伝道を開始しました。

その当時からFさんは信仰を求めて、家庭集会に忠実に出席されていました。そして今日まで、その信仰を持ち続け、輝いたお顔をして礼拝に来られ、わたしのメッセージに耳を傾けて下さいました。ご夫人も信仰を持たれ、今はお二人で主に仕え、よい働きをしておられます。

「奥様も救われてよかったね」という、わたしのことばに「先生、家内が救われるために長いーことかかったよ」と答えられました。それは長いー奥様の救いのために祈り続けた証しであります。

だれでも家族の救いを願うことは切なるものであります。そのための最大の武器は、祈りであり、自らが救いの喜びに生きていることです。

時間がかかることもあるでしょう。最後まで祈り続けることです。死後にその祈りが答えられて、家族が救われたと言うこともあるのです。

日夜祈ることです。祈りを通して、神は働いて下さるのです。

わたしの救われる背後に、母の涙の祈りがありました。同じく父の祈りがありました。それが私の両親への一番の感謝です。

吹上 

2008年11月13日木曜日

過ぎ去るものと永遠

すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世からでたものである。世と世の欲はとは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる

ヨハネ第一の手紙2:16−17


肉の欲は、一時的な快楽をもたらしますが、決して満足することはありません。

目の欲は、次々と新しいものを求め、それを欲しがりますが、これも永遠の満足と喜びをもたらすものではありません。

持ち物の誇り(暮らし向きの自慢)これも、人に賞賛されたとしても、すぐに消え行くむなしいものです。

世にあるもの、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは過ぎ去ります。

世俗的な欲望や人の賞賛や、持ち物よりも、神のみこころに生きることを願う平凡な世俗老人となった今、過ぎ去らないもの、永遠なる神の御旨を慕いも求めます。


吹上

2008年11月12日水曜日

必ず到着するのです

目標を目ざして走り

ピリピ人への手紙3:14

今回の訪日の旅は、行きも帰りも、SDとLA,そしてLAとSDとの間の交通に問題が生じました。

行きは濃霧のために飛行機のキャンセル、帰りは機内で待っているのにパイロットが姿を見せないというのです。なぜパイロットが来ないかという説明はありませんでした。

このブログを読まれた日本のAさんがメールを下さいました。

「私たちの人生のゴールに行き着くまでにも、順調な道のりの中に、思いがけず困難や試練もありますが、無事に目的の地(国)にたどり着くことができることは感謝なことです」

人生は旅です。旅には目的地があります。(ぶらっと目的地なしに出るひともありますが)天国という神の国が私の目的地です。そこに行き着くまで、様々な苦労や問題があることでしょう。

でもしっかりと目的地に目を向けて歩んでいるなら、必ず到着するのです。

吹上

2008年11月10日月曜日

貴重な柿の実(2)

人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ

ルカによる福音書6:31

貴重な柿の実のことを書きました。
訪日前に、鳥にたべられないために銀紙で包んだことを。
それが良かったようです。鳥はぎらぎら光るものを嫌うようです。
柿のことを案じてくださった方々がありました。ご安心ください!
見事な赤い実が、鳥に食べられず無傷です。
柿の好きな家内は喜んでいます。
ところが、その貴重な柿を食べないで、
知人(アメリカ人)に送ってあげると言うのです。
なんと心のやさしい奥様でしょう。

ご主人様は幸いな人ですね(笑)

吹上

2008年11月9日日曜日

無事に帰りました。

皆様のお祈りを感謝します。

元気に帰ってきました。訪日の当日飛行機に乗り遅れたことを書きました。(天候と事故のため)こちらに戻った日も信じられないことになりました。

7日(金)午前9時前にLA空港に着陸。ところが午後2時35分発サンデイェゴ行きの飛行機が遅れ、やっと機内に入りほっとしていると、パイロットが遅れているのでしばらく待ってくださいというのです。(相当な遅れになっていました)それでも乗客は笑っていました。でもこの飛行機は飛ばないので外に出るようにとの事。乗客の怒りは頂点に達しました。(私たちは疲れて沈黙ですが)外に出た人々はけんか腰で叫んでいました。

結論は、明日の飛行機に乗るか、シャトルバスで(7人乗りの小型車)SDに行くかと言うのです。私たちはバスにゆられて、のろのろ運転(混雑時間)のバスで空港行きを選びました。

大阪空港からLA空港まで8時間40分の飛行時間、LA着からSDの空港まで12時間でした。信じられないことです。O師に迎えられて9時ごろ帰宅しました。

人生何が起こるか分かりません。LAとSDの遠いこと?お疲れさまでした。でも飛行機が落ちないで帰れたことを感謝しています。9日の礼拝も守れました。

生きていることは楽しいです。めったにないようなことも体験することができるからです。

吹上

2008年11月8日土曜日

日本で感じていること

東京及び大阪駅には、通勤する人々、通学する人々であふれていること。
車中で身動きできないこと。乗り降りの大変なこと(降りますと叫んでいます)
混雑する時間はさけることです。切符を買うことに苦労します。
またどこから乗るのか、どこの出口がよいのかもわからず困ります。人に尋ね,尋ねのお上りさんです。

食べる店の多いこと。これだけあって商売ができることは、多くの人々が外食をされるということでしょうか。
わたしたちも、安くて、おいしい店で食事を楽しんでいます。
家内は少食ですから、残飯整理をしています。(訪日中は体重のことは忘れることにしています)

男性の多くは背広に、ネクタイ姿が多いです。女性の服装は目を楽しませてくれます。(そっとさりげなく見ています)

電車の中で席をゆずってくださいます。(わたしたちがが老人に見えるのでしょか?)
道順を聞いても親切に教えてくださいます。心が温かくなります。(天候も温かいです)

交通の便利なこと。タクシーの多いこと。道の狭いこと。自転車がよく通りこわいです。

2008年11月7日金曜日

主ともにいませば

バニャンは獄中から、次のように書いています。

「わたしは自分の生涯の中で、今ほど神のみ言葉に圧倒されたことはない。聖書の言葉は、以前には感じなかったようにこの場所、この状態ーベドフォードの牢獄ーの中で、わたしに光を与えている。イエスが今ほど、現実の存在となってわたしに迫ってくることはかってなかった。ここでわたしは主にお会いし、そのご臨在に触れているのだ」


苦しみや、試練、悲しみの尽きないこの世の生活です。しかし、その中で、聖書のことばが、今までになく新鮮に、力づよく、慰めとなって心にひびいてくる。私もそのような経験をしたことがあります。

好きな聖歌に、「主ともにいませば獄屋も宮殿の心地する」とあります。どこに住むかというよりも、主と共に生きることが大切です。

今住んでいるところ、身を置いているところも、主はいつも共にいて下さるのです。

吹上

2008年11月6日木曜日

帰れや、帰れや

 イエスはなれを呼びたもう いともの静かに  
 「愛の神のもとより  などて去りし」と
 「帰れや 帰れや 帰れや」 と主は今呼びたもう 

 聖歌404番

愛なる神のもとから去っていった魂が、もう一度戻ってくるとき、天に大きな喜びがあります。また本人も、神の大きな愛に包まれ、心のやすきを得、喜びを回復することができます。

神に造られた人間は、その創造者なる神のもとに立ち帰ってこそ、真の平安が与えられます。

わたしは朝ごとに、神との交わりの中で、「生かされている」という喜びと感謝があふれてきます。生かしてくださる神と共に、一日をはじめるとき、その一日は恵まれ、祝福された一日となります。たとえ、そうでなくとも(試練や悲しみに出会います)神のみ手の中で起こったことであれば、(自分の落ち度もありますが)必ず最善に導かれるという平安があります。

神のもとを離れた人々を思うとき、心は(胸)痛みます。愛の神の心は、もっともっと痛んでいるのです。

「帰れや 帰れや」と、愛なる神は、いともの静かに語っておられます。その声が聞こえませんか?

神のもとに帰ってください。神は待っておられます。

吹上

2008年11月5日水曜日

イエス様のお姿

ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすこともせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた」

ペテロ第一の手紙2:23

この聖書のお言葉は私の主、イエス様のお姿です。

イエス様はおびやかしたり、文句をいうこともなく十字架への道を歩まれました。その忍耐に教えられます。

ののしられたら、ののしりかえしたい衝動にかられるわたしです。すぐにカット、血が頭にのぼるほうです。

若い時は口より手のほうが早かった私ですが、年令とともに、すこしはこの傾向が減少しているようです。

でもある特定の人に何か注意されると大きな戦いが必要な時があります。そのような時は「主よ、助けてください。冷静なこころにしてください」と祈ります。

黙って、主イエス様の足跡をたどる者になりたいと願います。

主イエスが十字架につけるものたちのために、また、私のために許しを祈られたお姿に学びたいと祈ります。

吹上

2008年11月4日火曜日

祈っています

わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った

ルカによる福音書22:32

手紙の終わりに「祈っています」と書くことが多いです。その時、わたしは手を休めて、その人のために短く祈ります。

自分のことを考えても、今日までどれだけ多くの人々の執り成しの祈りに支えられてきたことでしょうか。今日もどこかで、だれかが祈っていて下さることを心から感謝するものです。

人はそんなに強いものではありません。身体に疲れを覚えることがあります。多くの試練によって、心が(身体も)弱ることもあります。人につまずき、神に背を向けてしまいます。そんなわたしを知って、神に祈ってくださる方があるゆえに、力を与えられ、試みに勝ち、信仰の道に戻ることができるのです。

あなたも祈られていることを忘れないでください。そして、人のために祈ることができたら何とすばらしいことでしょう。

吹上

2008年11月3日月曜日

永遠のいのちと天国

人は見えるものに目を注ぎやすいのですが、それは一時的であります。

この世のものは、いつかは変わるので、永遠ではありません。それに目を注ぎ、そのことのためにだけ生きているならば、いつかは失望し、不安におちいります。

世俗老人は目を転じて見えないが、永遠につづくものにしっかりと注目して生きています。

キリストの復活のいのちが与えられて、また、その復活の力によって生かされている私には、永遠のいのちと天国が保証されているのですから。

吹上


 ひとりの友がある。
 深い同情を寄せ、悲しみの日に
 流す涙をぬぐう友。
 彼は愛の人、その愛はいつまでも 
 変わることがなく、
 私たちのすべてを祝福し
 明るく、楽しいものにする。 (バーランス)

2008年11月2日日曜日

私は落胆しないで生きています

人はだれでも、やがて手や足が震えるようになり、背骨は曲がり,歯は抜け、視力が衰えて来、耳は遠くなり、よく聞こえず朝早く目が覚め、声はしわがれてしまう。また、息切れがして、坂道を登るのが大儀になり、足の自由がきかず、立往生し、頭髪は白くなり、のろのろと歩き、、、死に向かって行く。こうして、ついにいのちの終わる日がやって来る。

現代訳伝道の書12:3−6

どんなに若いつもりで生きていても、年とともに外見は変わっていきます。

現在の私自身の外なる人を見れば、まさにその通りです。でも、私は落胆しないで生きています。現実はそうであっても、内なる人は日ごとに新しくされているからです。

聖書を読み、みことばに生かされ、祈り、神との交わりに生きることによってであります。

人生には多くの患難や苦難に出会います。しかし、それは束の間であり、わたしたちが受ける「永遠の栄光」に比べる耐えうる事柄だと信じてます。

神が与えて下さる、あふれるばかりの重い栄光を目指して、しばらくの、軽い患難に耐え、落胆しないで生きましょう。

吹上

2008年11月1日土曜日

貴重な柿の実

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。

ペテロ第一の手紙5:8−9

裏庭に一本の柿の木があります。昨年は100個以上の実を結び、重さで折れた枝もありました。ところが、今年は信じられないほど少なくて、ただの8個です。(もう2個は食べました。傷がついて赤くなったので)

柿の実の好きな家内には、実に貴重な実であります。その実が少し色づいてきたと喜んでいたら、鳥がきて食べ始めました。そこで昨日、銀紙でその実を包みました。(紙のほうがよいのでしょうか?)これで訪日から帰ってきたら、甘い柿の実が食べられると楽しみにしています。

おいしいものは、鳥も虫も知っていて食べに来るのです。この敵?との戦いです。

人生にも、いろいろな戦いがあります。敵の攻撃に会います。病に倒れることもあります。誘惑があります。試練という攻撃を受けます。

目をさまして祈っていること、健康管理に気をつけること。大切な体と心を魂を守らなければなりません。

弱い私は、神のみ手のなかに守られてこそ、安全であることができます。

あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう

ペテロ第一の手紙5:10

主よ、わたしたちをいやし、強め、力づけて、不動のものにして下さい。

吹上

2008年10月31日金曜日

使命に生きる

あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい

テサロニケ人への第二の手紙4:11

使命。文字通り、命を使うと書きます。

ではどのように命を使ったらよいのでしょうか。自分のために、それとも人のために?

仕事のために、家庭を守るために、様々な生き方,使命がありますが、わたしは若い時に、神のために使うようにと導かれました。

どんなに目立たないことでも、忠実に努めることが私の使命であると思います。 

それぞれに、与えられている使命に、命を注いで(命を使い果たして)神のもとに召されたいものです。

 吹上

2008年10月30日木曜日

世俗老人の理想的な生き方

どう生きることが理想的でしょうか。

私は手に職(技術)を身につけて、たくましく生きている人に心を動かされます。

競争社会に生きるならば、一番になることでしょうね。

常に一番になることを求められる子供は、二番では満足できないのではないでしょうか。(親が満足できないこともあるでしょう)

たとえ三十番目であっても、ベストをつくして、コッコッと学び続けるならば、悔いなく生きることになるのではないでしょうか。

自分も残された老後の生活を、人と比較して、失望するのでもなく、ひねくれるのでもなく、真面目に生きることができれば理想的ではないかと思っています。

たくましく生きたいものです。

 
吹上

2008年10月29日水曜日

お祈りを感謝します。

お祈りを感謝します。日本に無事着きました。

21日(火)訪日の予定でありましたが、サンディエゴ空港で、濃霧のために飛行機はキャンセルになりました。

バスでLA空港に向かいましたが、途中にトラックの大事故があり、渋滞となり4時間かかり、日本行きの飛行機はすでに出発した後でした。
 

次回は24日(金)に飛ぶということで、3日間娘宅で休養ということになりました。そのために23日と25日の集会はできなくなりました。

26日は大原教会で礼拝ご用をし、28日は知人を訪問、そのあと東京に行き、M宅に着きほっとしたことでした。

29日はO師をお見舞いしました。(M 姉の案内で)

11月2日は母教会である京都信愛教会で礼拝ご用をすることになっています。続いての旅の守り、健康のためにお祈りくだされば感謝です。

家内は、今のところ守られています。

お祈りを感謝します。
 
吹上

旅の目的は、神の国(永遠の聖国)

人が絶対ということばを使うとすれば、絶対に死ぬということでしょう。

この世に生をうけたものは必ず死に至ります。決定的であるこの死に対して解決が与えられているならば、人生を明るく生きることができるでしょう。

「死ぬ事を」を考えると、うれしくて、うれしくてと、大喜びするひとがおられるでしょうか?

パウロは、信仰の迫害を受けて、獄の中に身を置いていました。それは、いつ死刑になるかも分からないという環境です。しかし、彼はこう言っています。

「生きることはキリストであり、死ぬことは益である」と。(ピリピへの手紙1:21)また「わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい」というのです。(同1:23)

生きることも実り多い働きであるのですばらしいことであるが、世を去ってキリストのもとに行く方がはるかによいことであるというのです。

生きることが辛いのではなく、死後の希望のゆえに、永遠に生きるという確信のゆえに、喜んで死を迎えることができるというのです。

地上の生活は旅であり、限られた年月であります。旅の目的は、神の国(永遠の聖国)であります。そこに神と共に住むのです。

吹上

2008年10月27日月曜日

午前4時44分

今朝は4時44分に起きました。ルームに置いてあるデジタルの時計が、赤字でくっきりと4:44と表示されています。その時は「死:死:死」と読むことにしています。

病院(日本)には4号室がないところがあるらしいです。4は死にとられて、病人や家族が喜ばないというのです。

わたしは、勿論肉体の死を考え、何時死がやってきても、神の前に立つ準備をするようにとの示しであると読みます、しかし、もう一つのことは「自我の死」と読むことにしています。

「最後に残された仕事は死である」と言われています。必ずやってくる絶対の死であります。
死後の確信をもっこと(永遠の命の確信)それとともに、自我に死ぬことも大きな課題であります。

「死んだはずだよお富みさん、生きていたとは、、」とかなんとかいう 歌があったようですが、死んだはずの自我が、むくむくと頭をもたげてきて、人間関係をダメにしてしまうのです。

この自我に死ぬことが、私の最後の仕事であります。若い時にその経験があれば、どんなに生き方が違ったものになることでしょう。

毎日、キリストと共に死に、キリストの復活の命に生きるものでありたいです。

吹上

2008年10月21日火曜日

お祈り下さい。

私たちは、本日(10月21日)から訪日します。

今回は、日本で手術を受けてから、3年ぶりの訪日になります。(帰宅は11月4日)訪日中2回の日曜日があります。訪日するならば、ご用をということになりました。

10月25,26日(土、日)は、神学校を卒業して、最初に牧師として遣わされた大原教会(岡山県英田郡)でご用をします。50数年前のことですから、わたしの知っている方々は、天国に召されておられます。でも教会学校に来ていた子供たち(今は60才前後)で、知っている人々がおられるというのです。再会を楽しみにしています。(皆さん、どんな大人になっておられるのでしょうか)

11月2日(日)は、私の母教会(京都信愛教会)でのご用です。私はその京都信愛教会で洗礼を受け、献身し、神学校に送りだしていただきました。なつかしい教会です。今日まで祈りのサポートをしてくださった教会です。

10月23日(木)の夜は、宿泊のお世話になる教会で、(はじめてですが)証しをすることになっています。(大阪)

私のご用、家内の健康が守られるようお祈りくだされば感謝であります。

吹上

2008年10月20日月曜日

慰めに生きる

主イエス:キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。神はいかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めてくださり

コリント第二の手紙1:3−4


神は慰めに満ちたる方です。

リビングバイブルは「私たちが苦しみや困難にあえいでいる時、すばらしい慰めと励ましを与えてくださる方です」となっています。

裁きたもう厳しい神ではなく、慰めに満ちたる方であるというのです。実に甘美な、最も励ましを与えてくださる方です。

いかなる患難や苦しみにいる時にも、私を慰めることのできる愛なるお方です。

今日までの70数年の歩みの中で、どれだけ苦難の中で慰められ、力づけられてきたことでしょう。数えきれない慰めを与えられて生きてきました。これからも、この慰めによって生きていくことができることは感謝であります。

パウロは、極度に耐えられないほどに圧迫され、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟するような危険なことがありました。その恐ろしい経験によって「自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った」(同1:8−9)と書いています。

リンカーンは「私は、神に行くほかに行くところがなかった」と言いました。

悲しみや、試練の時、どうしょうもないとき、神に行き、祈ることができます。神は慰めてくださり、生きる望みを与えて下さるのです。

痛み(腰)とかゆみ、まだ少しありますが、出来るだけ軽い荷物で明日から訪日したいと思います。

では、行って参ります。

吹上



2008年10月18日土曜日

ステチャエ

わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう

ヨブ記1:20

わたしたち夫婦は、物の整理が下手なため、ガラクタが溜まるばかりです。三女の家に行くと、実にきれいな台所、机の上も片づいています。

不要なものを捨てればよいのですが、物質の乏しい戦後の時代に育ったものですから、いつか使えるのではないか、もったいないということで増えるばかりです。

ステチャエ(捨てちゃえ)と、思い切ればよいのですが、そのつもりで集めたものを(家内が)目で見るとまた取り出すわたしであります。

これではいつまでも家の中や、机の上も片づくことはないでしょう。

メッセージの準備、手紙を書く、ブログの原稿、読書をする、同じ机上でするのですが、使用できるスペースはほんのわずかです。聖書や本や雑品が乱雑に置かれています。

今度は、思いきって捨てましょうと、かけ声だけであって、一向に実現しない我が家であります。

何一つ持たず裸かで、この世に生まれ、また何一つ持たずに、この世を去るのです。この現実に目を向けると「ステチャエ」が出来るのではないでしょうか。そう思いつつ、まだまだかしこには行かないと考えてしまうのです。

片づける時がきているのです。一日一日と天国は近づいています。

吹上

2008年10月17日金曜日

老いるということ

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい

テサロニケ第一の手紙5:16−18

「かゆみ」を読んでメールや電話で治療法を教えてくださつた方々に感謝します。まだかゆみが残っていますが、もうすぐ治るでしょう。

今度は、訪日前に裏庭をきれいにしておきたいと思い、かがんで(中腰)草取りなどをして、力を入れすぎたのでしょうか?腰を痛めてしまいました。(めずらしいことですが)寝ていると楽ですが。忙しくてその時間もなく動いています。(昨夜と今朝は祈祷会のご用)

特に、身体をかがめるとき、座っていて立ち上がるとき、階段を上るときに痛みが走ります。
自ら痛みを経験して、家内の首痛の大変さが理解できます。(痛み合い、慰め合っています)

首痛の奥様と、腰痛の主人(わたし)が訪日されるのですから痛々しいですね。(笑)
お祈りくだされば感謝です。

老いるということは、肉体的に(精神的、頭脳的も)いろいろと試みられることであります。その痛みや試練、変化の中で、喜びと感謝を持って生きる老夫婦であります。

吹上

2008年10月16日木曜日

祈りの人ネヘミヤ(2)

ネヘミヤは祈りの人でありましたが、また優れた指導者であり、その指導力にも教えられることです。近隣の人々のおどしや、抵抗、いやがらせを排除して、大工事をする部隊を守り、励まし、導いていくのです。

しかも、52日間という短期日で城壁を完成させました。それは、彼に指導された民の心からの協力、働きがあったからです。

「こうしてわれわれは城壁を築いたが、石がきはみな相連なって、その高さの半ばにまで達した。民が心をこめて働いたからである」(ネヘミヤ記4:6)

「民が心をこめて働いたからである」新改訳聖書は「民に働く気があったからである」と訳しています。
どんなに優れた指導者であっても、自分ひとりの力で、城壁を修理することは不可能です。
民の喜んでする協力が必要です。

ネヘミヤは「民に働く気」を「民が心をこめて働く」という、やる気をおこさせるリーダーであったというのです。(牧師も信徒にやる気を起こさせる魅力を持つこと。わたしには欠けていた?)

ネヘミヤは、ユダの地の総督に任ぜられますが、その「12年の間、わたしもわたしの兄弟たちも、総督としての手当てを受けなかった」(同5:14)と言うのです。無報酬の働きです。

ネヘミヤは祈りの人でしたが、また決断の人であり、組織力のある人でした。(3章)
彼の能力の背後にあった秘訣は何でしょうか。

1 神に心を動かされたということ。(召命ともいえるでしょう)新改訳聖書は「私の神が、私の心を動かして、、」(同2:12)とあります。自分の感情や、衝動ではなく、神に心を動かされて,事をしたのです。

2 祈りです。まず祈ってはじめました。(ネヘミヤ記1:4,2:4、4:9)

3 行動です。祈る、行動する、最善の努力をすること。祈るけれども、自分は働かないというのではなく、祈り、動くというバランスがあること。動くが、祈りが無いと言う人もいます。まず祈りましょう。どんな時にも。

吹上

2008年10月15日水曜日

祈りの人ネヘミヤ

ネヘミヤは信仰の人であり、よきリーダーでありますが、何よりも祈りの人であります。

祖国エルサレムの城壁はくずされ、門は火で焼かれたままであるという報告を、異国で聞いたとき「すわって泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して天の神に祈って言った」とあります。(ネヘミヤ記1:3−4)

その祈りは「どうぞ耳を傾け、目を開いてしもべの祈りを聞いてください。、、昼も夜もみ前に祈り、、、主よ、どうぞしもべの祈りと、あなたの名を恐れることを喜ぶあなたのしもべらの祈りに’耳を傾けてください」(同1:6−11)というのです。

ネヘミヤは、当時アルタシャスタ王の献酌者であり、王に信頼されていました。(毒薬を入れろこともできる立場)

ネヘミヤの悲しげな顔をみた王は、何か心に悲しみがあるのかと問いました。ネヘミヤはエルサレムの町が荒廃し、その門が火で焼かれたままであることを聞いたので、悲しげな顔をしないではいられましょうかと答えました。そして、その地に行って再建させてくださいと願いました。

王の許可を得た彼は,期限を定めてエルサレムに出かけました。そこに着いたネヘミヤは三日滞在した後に、夜中ですが、町の城壁や,火に焼かれた門を調査しました。(同2章)その後、工事をする民たちの役割を決め(同3章)神の助けを得て、52日間で城壁を完成させました。(同6:15)

何の妨げもない中での作業ではありませんでした。さまざまな抵抗と妨害の中での突貫工事でありました。そのような苦難を乗り越えての完成でありました。

神は祈りに答えてくださったのであります。わたしたちもまず祈りましょう。

吹上

2008年10月14日火曜日

「くいだおれ」さんから学ぶべきこと

今年の夏、60年の長い間、人々に愛された大阪名物「くいだおれ」が閉店しました。

「人気が人気をよび、人が人をよぶ」という初代社長の言葉のとおり、人々に人気のあった店でした。だが時代の波に乗れなかったのでしょうか、多くの人々に惜しまれながらの閉店となりました。

2代目の女将は「もてなしの心」に徹して、お客さんを心から暖かく迎えられたいうのです。

教会は「くいだおれ」さんから学ぶべきことが多いと思いました。

「人が人をよぶ」を教会にあてはめた時、礼拝で恵まれた人、喜びにあふれた人が、人を導くのではないでしょうか。

「もてなしの心」とは、どんなに失望している人も、弱さをもつ人も、喜んで出席したくなるような、暖かい歓迎の心に徹して、信徒を大切にすることです。

教会の成長を祈ります。

吹上

2008年10月13日月曜日

祈り(10月12日 聖日礼拝)

愛と恵みに満ちたもう父なる神様

今朝、愛する方々と共に、神の民として、御前につどうことがゆるされ、礼拝を守るこのひとときを心から感謝します。

この礼拝を祝福し、今日でなければ受けることのできない豊かな恵みをお与えください。この礼拝で奉仕をしてくださる方々、またみことばを語るもの、聞くものの上に、聖霊のお助けをお与えください。

今朝、病気や、その他の理由で、礼拝を守ることの出来ない方々にも、この日を聖別された日として、主の恵みをお与えください。

訪日中の大倉先生ご一家、その他の人々の旅路を守り、祝福してください。留守の教会をお守り下さい。

今日初めて通訳のご用をしてくださるヴォトなおみさんを尊く用いてください。
この礼拝が、神のみがあがめられ、神に栄光が帰せられるようお導きください。
人を隠し、神のみを見仰げる礼拝にしてください。

聖霊さまの働きと導きを心から願い、この祈りを、イエスさまのみ名によってささげます。

アーメン

2008年10月11日土曜日

行くべきか、とどまるべきか

アブラムはききんの時、エジプトに下りました。(神の示しなしに)そこで妻の身に危険がおそいましたが、難を避けることが出来ました。パロは言いました「彼とその妻およびそのすべての持ち物を送り去らせた」(創世記12:20)

パロは、アブラムの妻に手をださず、たくさんの持ち物を与えて去らせました。

ヨセフとマリヤは、イエスを守るためエジプトに逃れました。(神の示しにより)

「立て、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまでとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」(マタイによる福音書2:13)

アブラムの場合、そしてヨセフとマリヤの時も、同じようにエジプトに下りました。しかし、神の示しによって行動をしたか、そうでないとは大きな違いがあります。

行くべきか、とどまるべきか、この決断をするのはむずかしいことであります。

気の早い私は、神のみこころを問わず、祈りもせずに決断したことで失敗したことの多いものです。しかし、失敗しても悔い改めて、神のみこころに従うならば、その事も益に変えられることを学びました。

吹上

2008年10月10日金曜日

きずな

百万人の福音に掲載されていた、熊谷めぐみさんの証しに感動しました。熊谷さんは2年間におよぶ闘病生活から、光の世界へと救い出された方です。

私と同じ「うつ」の経験があり、医師からは「治らないかもしれない」という宣告をうけられました。その苦しみや、どうして自分だけがこんなつらい目にあうのかという嘆き、いやされたいという焦りに悩まされるなど、うつの経験者でないと理解できない心境などが心を打ちました。

吹上


「きずな」  熊谷めぐみ

あなたが六つの時にパパは
家を出て行った
こんなに大好きな私のパパなのに
どうして一緒に住めないの?

あなたは泣いた
見つめるものがすれ違ったから
二人の絆は切れてしまった
あなたがいたのに別れがきたのね

私がママを守ってあげるから
強い子になったわね
神様ありがとう
もうママ大丈夫心配しないで
守ってくれる人がママのそばにいるから
これからはあなたが幸せになるのよ

あれから幾度も季節はめぐり
あなたが巣立って行くのでしょうか
いつでもママは祈っているわ
あなたがいい人とめぐり逢えるように
めぐり逢えるように、、、

2008年10月9日木曜日

こいぬのうんち(2)

「犬の落し物(うんち)」から学んだ事を書かずに、他の人の月曜日のことを書きました。

「犬の落し物」を見ると辛い思い出や、苦痛を感じる人があります。またそれを汚いとか、不潔であると嫌って始末をされるでしょう。

わたしは「ネコの落し物」を拾って、土に埋めて肥料にしました。

「犬の落し物」ですが、「神様は、意味もなく何かを作られないよ。君にも意味があるよ」というメッセージが、この作品のテーマですとFさんは書いておられます。

私のことばですが「くそ野郎とどなられ、嫌われるような人間も、意味ある人生に変えられる」ということです。

こいぬのうんちくんは、ある日、優しい声を聞きます。かわいいタンポポの蕾です。「あなたは私の肥料になるの」。

うんちくんに助けられてタンポポは成長し、きれいな花になっていくのです。かわいいうんちくん、よかったね。

そんな世俗老人の日々でありたいです。

吹上

2008年10月8日水曜日

この子だれの子

「この子だれの子」(ビル・ウィルソン著/万代栄嗣訳) と言う本を読んでいます。

著者はスラム街で、強盗に襲撃されるという危険な中で22,000人の教会学校を作り上げた人です。

現代の教会には子供が集まらないと言われているにもかかわらず、多くの子供たちが喜んで参加しているのです。

私はクリスチャンホ−ムに生まれ、教会学校には物心がつく前から出席していました。その幼い時に学んだ聖書の話しが、今のわたしになる基礎となり、信仰生活を支えてきました。幼いときから聖書を学んだことが大きな力となりました。

神学校時代、また卒業後も、一番力を入れたのは教会学校でした。子どもが好きでしたが、それ以上に子供の魂に聖書のみ言葉を届けたいという思いがあったからです。

今頃の子供たちは日曜日に教会学校集まらないと聞いています。何とか工夫して、祈って、子供たちに伝道をしてほしいと願います。

子どもたちを神様のみもとに導きましょう。


吹上

2008年10月7日火曜日

総司君の洗礼式

10月5日(日)サウスベイの教会(安藤秀世牧師)で、礼拝ご用をしました。

その時に学生としてサンディエゴに住んでいて、祈祷会に出席していた小田原総司君(今はトーレンスにあるドミンゲスヒル州立大学生)の洗礼式がありました。

学生寮に入るお手伝いをしたときに、「君が洗礼を受ける時はしらせてほしい」と言った事を覚えていて、(不覚にも私は忘れていました)安藤牧師にそのことを伝え、それで洗礼式に来られるのならば、メッセージと洗礼式、聖餐式を二人ですることになりました。

礼拝のメッセージは、子供と一緒の礼拝(月一回)日であるから、子どもに分かるように話してほしいというリクエストがありました。ところがアメリカ生活48年の間、日本語で子どもにお話しをしたことがないので、どう準備してよいのか見当がつかず困り果てました。

祈りました。

大人の礼拝では、きちんと原稿を書く習慣がついています。しかし、今回はその原稿がどうしても書けずに講壇に立ちましたが、聖霊様の導きと助けにより、自由に語ることができました。

洗礼式は、喜びのときであり、特に天上においても大いなる喜びがある時です。受洗した本人にも感動の時であります。帰宅したわたしに、総司君からメールがありました。

「今日はわざわざサンディエゴからお越しくださり、ありがとうございました。こちらに着いた時から、洗礼を受けて吹上先生をお呼びするのをずっと楽しみにしていました。メッセージまで聞かせていただいて、本当に一生忘れらない日になりました」

総司君、受洗おめでとう! 信仰の成長を祈っています。

吹上

2008年10月6日月曜日

こいぬのうんち

あなたの大嫌いなものを3つ言え」と言われたら,わたしの場合、必ず入れるのが「犬の落し物」ですと..。

「こいぬのうんち」DVD(ビデオメーカー)についての記事の中で、Fさんはこのように書いておられます。

他人の犬の落し物を、毎日始末させらているうちに、ノイローゼ状態になられたというのです。

そんなFさんとは打って変わって、私のブログ(インターネット)の師匠、Mさんは、毎月曜日に裏庭で愛犬のうんこ取りをされるようです。それはそれで毎週楽しくやっておられるようです。

月曜日といえば、多くの牧師たちは休みの日です。

ある牧師は、子供さんが学校に行っておられる間、夫婦水入らずでコーヒを飲みながら会話を楽しまれるというのです。コーヒがおいしくなるでしょうね。これは夫婦の大切はコミュニケーションのときです。毎週続けてください。

私は、ネコもいなくなったので、落し物の始末はなくなりました。毎日が休みの日(引退牧師生活)で、楽しくあれや、これやとやりながら生きています。

引退世俗老人の日々は感謝と喜びで満ちています。

吹上

2008年10月4日土曜日

77才にしては元気だなー

心臓につながる血管をひろげ、ステントを入れる手術を(2回)して、早くも2年と8ヶ月が過ぎました。その後、半年ごとに定期診察を受けています。

昨日その診察日であり、Dr.Gによる診察を受けました。EKGによる検診もしました。

診察が終わり、帰りかける私にDr.Gは「77才にしては元気だなー」と言われました。「どうして年令がわかるのか?」と問うと、コンピユータを指さして「ここに書いてあるよ」と笑っていました。

こちらもほめられたので、笑顔で「そうですか」と答え、握手して別れたことです。死線を越えてからは、本当に強められています。手術前は、疲れやすく、目まいがし、活気がない生活でした。今は、自分でも元気になったなーと驚くほどです。

特に食べるものにも気をつけていません。運動も休みがちです。(家内の首痛のため)

くよくよしない、いつも喜び、すべての事を感謝して生きています。心配すればきりがありません。神にすべてをゆだねて、思い煩わないことです。

これが世俗老人の元気な秘訣でしょうか。

吹上

2008年10月3日金曜日

みてのなかで

私の時は、あなたの御手の中にあります

詩篇31:15

今朝の聖書通読のときに、心に残った御言葉です。

「時は」とあります。詩人は悩み、苦しみによって、身も心も衰えており、消え行くような時に置かれていました。

「私のいのちは、苦しみで消え行き、私の歳月は嘆きで過ぎ去り、私の力は、苦しみで尽き果て、私の体も衰えてしまいました。、、私は、死人のように、人々から忘れられ、壊れた器のように見捨てられました」(詩篇31:10,11)

壊れた器のように、見捨てられるという悲惨な時でした。

私の人生にも、悲しみの時、苦しみの時、悩みの時、人に捨てられる時、いろいろな時がありました。

その時に、だれの御手の中に生かされているのでしょうか。自分にさからう敵の御手でも、苦悩の中でもなく、神の御手の中にあるのです。

たとえ、すぐに助けてくださらないように見える時も、御手の守りを信じて、心安らかに信頼していきたいです。赤ちゃんが、母の腕の中に安らかに眠っているように。

み手の中で  全ては変わる感謝に
我が行く道に 現わしたまえ
あなたのみ手の業を【リビングプレイズ13番より】

私の大好きな賛美です。

吹上

2008年10月2日木曜日

かゆみを止めるよい方法はないでしょうか?

家内の首痛は、今も続いていますが、(9月24日に書きました)10日ほど前から、私も背中がかゆくて,痒くて戦いです。

首の痛みに比べると、とりあげるほどではないのですが、どんなことでもその本人は辛いのです。犬が、足で(手?)かきむしっている気持ちが分かるようです。血を流すほどです。(すこしおおげさかなぁー)


私の皮膚がよくないのか、年に2,3回痒みが襲います。以前にはよく効いたぬり薬もききめがなく、アロエ軟膏もやってみましたが、、。かゆみを止めるよい方法はないでしょうか、あれば教えてください。

ブログを書くより、かゆみの解決が第一だと思いつつも、やっぱり何かを書かなければと、背中をかきつつ(頭も)ペンを走らせています。

よい知らせを待っています。

吹上信一

2008年10月1日水曜日

輝いて生きる世俗老人でありたいと

他人を成功あるいは失敗で判断します。、、人間の成熟は、成功よりも失敗や試練を通してこそ実現されるということです。また健康な人たちよりも、病気の人たちの中に真に人生を生きている人たちがあるものです。しあわせを求めるあまり、もっと富がなければならないとか、

もっと才能がなければならないと、あせって不幸せに沈んでいる人たちが案外多いかと思えば、試練や失敗に苦しんでいるように見える人たちの中に、ほんとうのしあわせに輝いている人が少なくないということも知りました。【トウルニエ博士の講演「人間性探求の旅」】

私の人生をふりかえってみれば、成功よりもはるかに失敗の多い歩みでした。

富とか才能とかを求めて、あせったりはしませんでしたが、失敗だらけの人生でした。でもその失敗を通して、自分の無力や傲慢を痛いほど教えられたことでした。

思うように事が進まないことによって、へりくだりを学んだり、神に祈り求めなければならないことを知りました。

人は失敗や病気をしなければ、とは言うつもりはありません。そのような辛い経験が無いほうがよいことでしょう。

しかし、そのようなことによって、人生が豊かになり、人間性を深め、人の痛みや悲しみに少しでも心から同情できるものになれるのではないでしょうか。

ほんとうのしあわせに輝いて生きる世俗老人でありたいと願っています。

吹上

2008年9月30日火曜日

第20回ラバ温泉修養会(2)

修養会のご用を終えて、感謝と喜びにあふれて帰宅しました。皆様の背後での祈りを心から感謝します。

パウロ先生は「わたしのためにも祈ってほしい。、、語るべき時には大胆に語れるように祈ってほしい」(エペソ人への手紙6:19−20)と書いています。

大先生が、そうであれば、わたしのような小さなものは、もっともっと祈っていただかないとご用ができません。

「修養会のご用のために祈っています」というメールは、大きな力でありました。

朝夕のメッセージ、お互いの交わりと祈りの時、この世の忙しい生活を忘れての祝福のときでした。また温泉にも入り、体にも休養が与えられ、霊肉ともに新しくされました。

お互いに、再会を約束し、主に力づけられ、それぞれの生活の場に遣わされたことでした。

一年をかけて祈り、準備をしてくださったH師ご夫妻、教会員の皆様に心から感謝します。

吹上

2008年9月29日月曜日

謝らないアメリカ人すぐ謝る日本人

オレンジ郡キリスト教会でご用をさせて頂いた時に集会後、高木哲也氏より2冊の本をいただきました。

題名は、「謝らないアメリカ人すぐ謝る日本人」(草思社刊)「日本企業よ自分を貫け」であります。

著者である高木氏のサイン入りで「恵存」と書かれていました。「どうかお手元にお置きください」という意を表す語であります。

すばらしい本を手元に置くことが出来たと喜びながら読ませて頂いてます。

「謝らないアメリカ人 すぐ謝る日本人」の第1部には、この項目のほかに「みんなが持っているから」「だれも持っていないから」「本物のサービスと偽物のサービス」
「自己主とエゴイズムはちがう」となっています。第2部「教育」第3部「家庭」第4部「ビジネス」第5部「社会と経済」であります。

生活からビジネスまで、日米はこれだけ違うという比較が書かれています。

わたしも48年という長いアメリカ生活の中で、いろいろな違いを体験しましたが、この本を読みながら、「その通り、そうです」と同調いたしました。

くわしい説明はしませんが、アメリカに住む人には読んでほしい本です。教えられることの多い本でありました。

吹上

2008年9月27日土曜日

生きる意味|ポール・トゥルニエ

「生きる意味」の著者ポール・トゥルニエ博士が、自分のことを「あらゆるものに興味を持ち、関心を寄せ、好奇心を持っているおじいさん」と言っておられます。

「おじいさん」という表現に親近感を感じます。

トゥルニエ博士は、実際に台所で料理を作ること、裁縫をすること、庭いじりや畑仕事、哲学や神学、彫刻をしたり、鋳造、木工にも心がひかれ、それを楽しんでおられます。

トウルニエ博士のことを知って、私もまだまだ多くのことに関心を寄せて、やってみたいと心を燃やされました。

イエス様はマルタに対し、「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」(ルカによる福音書10:42)と言われました。

不器用な私が、あれも、これもと試みるよりも、やっぱり一つのことに集中すべきかと考えてしまいます。迷っているうちに、何もせずに終わってしまうのではないでしょうか。


私の一番の楽しみは読書です。今も、山のように本を積み重ねています。それを見ながら、長生きしないと読みきれないが、、。どれを読もうかと迷っています。

私にも本が読めなくなる病床生活の日がくることでしょう。だから一日、一日を大切に生きたいです。

どんなに考えても残されている日は少ないのですから。


吹上

2008年9月26日金曜日

Hちゃんありがとう。

何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい

マタイによる福音書7:12


礼拝のときに、三人の方の合唱がありました。

その一人は男性Mさんでした。賛美が終わると、その男性に1才半の女の子がパチパチと拍手をしたので大笑いの渦が起こりました。(普通、拍手はありません)

集会後に、お母さんに、どういうことかと聞くと、自分が歌ったときに父(母も)親が「上手、上手」と手をたたくので、父が歌ったのでパチパチとやったというのです。

おさなごはすごいなぁーと感嘆したことでした。大のおとなに笑いとほほえみ与えるのですから..

おさなごは、自分にしてほしいとは思ってはいないが、してもらったことをほかの人(父)にもそのようにしたということです。

幼いこどもは、大人のすることを真似て育っていくようです。大人は(親)よい模範をみせなければということです。欠けの多いわたしは反省させられたひとときでした。

Hちゃんありがとう。また笑いをくださいね。

吹上

2008年9月25日木曜日

わたしが弱い時にこそ

わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである

コリント人への第二の手紙12:10

私には、弱さがあり、そのために悩み、苦しみ、失望することがあります。この弱さがなかったらどんなによいだろうと思うこともあります。

しかし弱い時にこそ、イエス・キリストの力が宿ることによって、強くされ、私に生きる勇気が与えられます。

身体になんらかのハンディを持っている人が、それを苦にせず(苦しみ、悩まれたこともあったでしょうが)前向きに生きておられる姿に感動し、また力と励ましを頂きます。

イ・ヒアさんは大きな障害をもって生まれました。でもピアノコンサートを行っておられます。

下は私の大好きなイ・ヒアさんの詩です。


10本の指がなくても、悲しくなったりしない。
残っている4本の指に感謝する時,私の心に光をくださった神様が、
10本の指があったら持つことの出来ない喜びを私に届けてくださつた。

2本の脚がなくても、恨んだりしない。
わずかに残ったこのももに 靴を履いて、
主に向かって踊りを踊る時に、
希望を語れるようにしてくださった。

外なる人は古くなるけれど、
内なる人は日ごと新しくなるのだから、
外見の理由によって、泣いたりしなで、
神様は、そんな外見の理由で泣いたり、笑ったりしている人たちに
伝える主の言葉を、私に託してくださったのです。(市ノ渡典子訳)

2008年9月24日水曜日

痛いときは「痛い」と大声で叫んでください。

1カ月以上も、関節炎からくる首の痛みで、家内は戦いの日々を過ごしています。

針治療やカイロプラクターに通ったり、その他の治療を試みていますが、回復のきざしはみえません。

夫として、妻が痛みに耐えている姿を見るのは本当に辛いことです。痛みのないわたしには、心から同情することもできない心境です。

何かよい治療はないのでしょうか?ペインマネージメントにも通い相談をしています。

「同病相憐む」ということばがあります。同じような痛みや苦しみの中を通っておられる人が,ことばをかけてくだされば慰められるのではないでしょうか。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざもあります。自分も車の事故で、肉体の痛みを経験はしたものの、今ではその痛みも苦しみも忘れています。

今、苦しむ人、痛みのある人のことばが一番慰め、はげましとなるのではないでしょうか。
わたしと同じ心の病の苦しみを通った人と語り合ったとき、心が通じ合い、「そうだ」「そうです」と大声で慰め合ったことがありました。

今、痛みの中を通っておられる方々の上に、癒しと痛みからの解放を祈り願います。

痛いときは「痛い」と大声で叫んでください。

吹上

2008年9月23日火曜日

第20回ラバ温泉修養会(ユタ州)

老人は過去に目を向けて「昔はよかったが、今は..」と言って生きるのでしょうか。

たしかに、私の体力は弱りすぐに疲れます。記憶力は衰え、人の名前も忘れることが多いです。でも、しかたがないとあきらめるのではなく、すこしでも前進したい、前向きに生きたいと願っています。

当年77歳の私はこのブログを書くのも大変なときがあります。

何でも書けばよいというのではないのです。あれも、これもと考えるのですが、よい記事がうかばずというところです。

肉体の成長はなくとも、すこしでも霊的に成長することができればと励んでいます。

今年も、第20回ラバ温泉修養会(ユタ州)に招かれてご用をします。(9月24日−28日)若い先生方とご一緒のご用です。わたしには若さの力をいただくときとなることでしょう。感謝であります。

早天祈祷会、午前と夜の集会があって、午後には有名な温泉につかり、肉体をいやす時間があります。(自由参加ですが)婦人会、二世有志による日本食のもてなし、霊肉ともに恵みをうける修養会です。心も身も新たにされます。しかも費用もホテルに3泊と食事つきで75−120ドルです。来年は参加されませんか。

私の健康が守られ,ご用を通して、神があがめられる集会となるようにお祈りくだされば感謝であります。参加者全員の健康も守られ、神の豊かな祝福をいただく修養会であることをお祈りください。老いても、前向きに前進します。

では、ラバ温泉修養会(ユタ州)に行って参ります。

吹上

あなたは愛されているのです。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している

イザヤ書3:4

タフな人は生きていけるでしょう。私はタフどころか、とても気の弱いものですが、今日まで生きてきました。

また、頑固で、優しさに欠け、生きていく資格のないような者ですが、今も生かされています。

自分で生きようとしないから、生かされているのでしょう。また何か、この地上ですることがあるので生かされているのでしょう。

この世での仕事が全部終ったら、神様はすぐにでも天に召してくださることでしょう。

それまではタフでなくとも、生きる資格がないと思われようとも生きていきたい、生かされていたいと願っています。

どんなに苦しいことがあっても、意味のない苦しみはないと信じています。どんな人にも生きていく資格があり、どんな人も神に愛されているのです。生きる資格があるのです。

あなたは愛されているのです。私も愛されているのです。

その愛のただ中に生きていけばよいのではないでしょうか。人の目にどう見えても、あなたは高価で尊いと言ってくださる神様がおられるのです。

吹上

2008年9月22日月曜日

Mさんのためお祈りくださったことを感謝します

M子さんのためお祈りくださったことを感謝します。

今朝早く、M子さんの友人から電話があり、亡くなられたとのことでした。今日は終日、施設にいったり、葬儀社に行ったりと忙しくしていました。

皆様、祈りを感謝します。

吹上

心のごはん

皆様、お元気ですか。

娘や孫たちが帰り、また二人だけの静かな生活に戻りました。

家内が関節炎から首の痛みで大変です。なにもしない、痛くて出来ない状態です。娘たちの事つくりは私の仕事でした。でも楽しくやりました。少し腕があがりました。

アメリカや日本のように物質が豊かな国には飢饉(ききん)はないでしょう。しかし、人生のききん、肉体の飢えではなく、心の病んだ人、心の飢饉に悩んでいる人々は多いようです。

わたしの心が病んでいたとき、そのような問題に触れている本を読みあさっていた時期がありました。


「心の傷」を見つめて(上村順子)
悲しみの精神史(山折哲雄)
誰も私をわかってくれない(牧野真理子)
心の病いと社会復帰(蜂矢英彦)
心の壊れた子供たち、絶望がやがて癒されるまで、
なぜ「いい人」は心を病むのか(町沢静夫)
「うつ」をやめれば、楽になる(フランク:ミナース、ポールメイヤー)
うつ病は必ず治る(河野友信)
心がやすらぐ本(ルイーズ:ヘイ)
心を病むってどういうこと(古川奈都子)
お母さん、心の声が聞こえていますか(山路鎮子)

これらの本は助けになります。しかし、わたしの心が病んでいたときに、真の慰めと生きる勇気を与えてくれた本は聖書でした。

やっぱりそうくるのかと言わないでください。難しい、分からない、そのように頭から考えないで、とにかく読んでくだみてさい。きっと慰められ、力づけられるときがきます。

聖書は心のごはんです。毎日食べるように読んでください。あなたの心を豊かに養ってくれます。

吹上

2008年9月21日日曜日

今日が最後の日であるかのように

あなたの神に会う備えをせよ

アモス書4:12

昨日もM子さんをお見舞いしました。彼女のルームに入ると、アイスクリームを食べさせてもらっているところでした。

看護の方が「しばらくいるのですか。それなら食べさせてほしい」と言って、他の人のお世話をするために出て行かれました。

一昨日コカコーラを飲んでおられたので、「コカコーラをのみますか」と問うと「うーん」と言って、口を開かれるのです。

ゆっくりと時間をかけて飲んでもらいましたが、一缶ほとんど飲まれたのには驚きでした。

食欲もなく、ランチも食べられなかったということでした。それゆえにコカコーラをゴクンと喉をならしながら多くを飲んでくださったのです。

今、主に会う備えをされているM子さん..。私も遅かれ早かれ、何時かは必ず地上での最後を迎えます。今日が最後の日であるかのように、毎日を大切に生きなければならないと思っている今日この頃です。

吹上

2008年9月20日土曜日

14年前の9月1日も月曜日

14年前の9月1日も月曜日であり、その日は引退生活の第一日でありました。

その14年間には、いろいろな体験をしましたが、死の谷を通ったことが2度ありました。一回目は自動車にはねられた事故。二回目は日本で手術を受け、帰米後に同じ手術を受けて危篤状態になったこと。感謝なことに生きることをゆるされて、今も元気に老後を暮らしています。

新しい牧師の就任が決まるまで、2000年の9月から2001年の12月まで、再びサンディデゴ教会で牧師をすることになりました。

以前の12年間の奉仕とともに、このときの働きも楽しい日々でした。教会員の皆様の尊い祈りと奉仕によって支えられたご用であったことを心から感謝するものです。

1969年からサンディエゴ教会での働きを始めて、他教会での牧会を加えての39年の間に多くの方々が天に召されました。

懐かしい人々の顔を今もはっきりと思い出すことができます。お世話になった懐かしい人々と再会する日も近いことでありましょう。

吹上

2008年9月19日金曜日

教会には神の慰めが

引退後の最初の日曜日にサンゲーブル教会での礼拝ご用が与えられました。

午前6時半に家を出て、礼拝では「神の慰めに生きる」と題して第二コリントの手紙1:3−7から御言葉を語りました。

定住牧師のいない教会には神の慰めが必要です..。

メッセージの後、司会者は泣きながら、神は私たちを決して見捨ててはおられないと語られました。

同日、礼拝後の集会では、愛の章第一コリントの手紙13章より、愛の必要性と愛の特徴について語りました。

吹上

2008年9月18日木曜日

忘れたころに車の接触事故

長い間、車の衝突という事故から守られてきました。ところが、昨夜9時15分、祈祷会を終えて帰るときに、Mさんの車に当ててしまいました。

教会の駐車場で車をバックさせていたときに、カックンと軽い衝撃を感じ、車を止めて降りてみると、わたしと同車種で、新車のMさんの車に大きな窪みができていました。

明らかにわたしのミスでした。Mさんを探しに教会に戻り「すみません。あなたの車に当てて、傷をつけてしまいました」と謝りました。

人間の思い違いは恐ろしいものですね。後ろに車が止まっているということを思ってもいなかったのです。(パーキング場の電気も切れていたので、暗かったのですが)

修理のための手続きや、その他のことで貴重な時間を使わせることになってしまい、Mさんに対して申し訳ない心で一杯であります。

Mさんが帰宅されたころに電話をかけると無事に帰宅されたということで安心したことでした。

ご主人様にもお詫びのことばをかけました。「ああ問題はありませんよ、心配なく」と明るい声で返事をくださいました。また、ほっとした瞬間でした。

家内は「人身事故でなくて、、」と慰めてくれました。

このような一大事があった日は、気になって眠れないのがわたしの性格ですが、平安があったのでしょうか、あれこれと考えているうちに眠りにつきました。

人生いつ、どこで、何が起こるか分かりませんね。注意に注意をしても、事故がおきてしまうことがあります。

皆様、夜の駐車場では、よくよく後ろを見て、ゆっくりバックをしてください。

Mさん本当にごめんなさい。

吹上

ダビデの祈り

神はあなたがたを顧みていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい

第一ペテロの手紙5:7

ダビデの祈りには沢山の事を教えられます。

ダビデは一切のことを、静かに神にゆだねました。

人々の不親切なことばを神にゆだね、それから神により頼もうという強い意志を働かせ、どんなことがあっても恐れないと覚悟を決めました。

恐れが押し寄せてきたら、心をさらけ出して再び祈りました。

一部だけをゆだねて、いっさいを神にゆだねていないわが身を反省させられます。

吹上

2008年9月17日水曜日

試練の中にも

神が私を多くの試練の中に導かれるように思える時があります。

それは神が、今までの私の歩みに信頼しておられ、これから通されようとする火のような試練の中でも、私が神に栄光を帰することを導いておられるしるしです。

だから、恐れるのはやめる事にいたしましょう。

私はつかの間の苦しみから救いだされ、神ご自身とのより近い交わりへと引き寄せられるでしょう。

神よ、私を静思することに成熟した子として下さい。試練のない引退生活は望めないでしょう。試練の中にも、あなたの御顔を仰ぎみる信仰を与えて下さい。

嗚呼!主よ、すべての栄光をにあなたに帰することができますように..

吹上

2008年9月16日火曜日

試練は、神の愛と信頼へのしるし

静まって、わたしこそ神であることを知れ

詩篇46:10

試練は、神の愛と信頼へのしるしです。

私が堅く立ち、静かに神を待ち望むことを、神はどれほど喜んでくださるでしょうか。神が試練のない歩みを許されるとしたら、私はすばらしい霊的経験に導かれることがないでしょう。

多くの試練や苦しみは、神が私を信頼していて下さるしるしです。神は私が、その中で耐えることができると信じておられるのです。

神が守っておられるという目に見えるしるしがなく、敵にばかり良くしておられるように見える時にも、私が神に対して真実であり続けると信じておられるのです。

試練の中で私は、あわてず、静かに神を待ち望み、そして祈ります。

主に信頼した落ち着いた心を今日も与えたまえ、と..

吹上

2008年9月15日月曜日

主と共に歩む毎日でありますように

人の歩みは主によって定められる。

詩篇37:23

1)毎日は主によって定められているという歩みを間違いなく歩みたい。

2)自分の道を歩んではならない。

3)神がわたしの将来を一歩一歩共に歩んで下さり、導いて下さる事を祈る。

引退して以来、第二の人生と言うべきか、あるいは、第三の人生と言えばよいのでしょうか?日々、上の3つの事を肝に命じて生活しています。

ジョージ:ミューラは「人の歩みだけではなく、人が止まるところも主によって定められる」と言っています。

主はイスラエルの民が雲と火の柱によって導かれました。そして行くべき時、止まるべき時が示された。止まる時も進む時も、主の導きがありました。

進むべきときに止まったり、止まるべきときに進むことがなように、確かな主の導きを求めて祈りのうちに、新しい出発をして行きたいと願った引退生活..。

主は、わたしの引退後の生活をどのように導いて下さるのだろうか。

様々な思いはありますが、神より先に進むことのないように、神より遅れて従うことのない、主と共に歩む毎日でありますように..。


吹上

2008年9月13日土曜日

なにごとも

モーゼスさんは、78才になると、指先がこわばって刺繍針がもてなくなりました。

そこで絵筆をとり始め、農場生活の情景を細部まで正確に描き出しました。そして美術史に残る画家となりました。100才のときに「クリスマスの前の晩」の挿絵を完成しました。

世俗平凡老人のわたしには絵を描く才能などはなく、平凡な引退生活になりました。でも毎日が楽しく、読んだり、書いたり、自由気ままな生活をしています。

「サンディエゴ便り」は、今も書き続けています。与えられた多くの時間を大切に、有意義に使いたいと思います。気分転換のため庭仕事にも励んでいます。

といっても一時間もすれば休息がいる体になりました。無理をせず、あせらず、マイペースでやっています。

なにごとも。

吹上

2008年9月12日金曜日

わたしの引退生活

わたし自身の引退生活は、1997年9月からでした。

1 本をよむ時間が与えられたこと

2 書く時間が多く与えられたこと

3 庭での作業、家の修理ができること

4 料理やパン作りができる

5 趣味の時間ができたこと(楽しみとしてする事柄)

上は、わたしが引退生活をして感じた事柄ですが、時間に追われない、今までよりも多くの自分の時間が与えらました。

この他に、責任、プレッシャーからの解放を感じました。

今までの牧師としてのご用から完全に解放されたというのではありません。今も礼拝のご用に行くことがあります。しかし牧会という責任のある務めからの解放はあります。

どの職業にも、誰でも重い責任はあるのですが..。これは牧師をやった人でないと分からない事柄であるかと思います。

責任があることは、そのことによって、祈り、へりくだらなければならないこともありますので、恵みでもあります。

クリスチャンの皆様、あなたの教会の牧師の働きのために祈り、その働きをサポートし、奉仕に参加してください。には喜びもあります。

吹上

2008年9月11日木曜日

めずらしいこと

昨夜おそく帰宅しました。

何か久しぶりにブログに向かっているようです。ブログもだんだんと説教だけになってきたような気がします。よいのでしょうか?

5人の娘たちが揃うことは、結婚式(もう皆終わりました)か、わたしの葬儀ではないかと思っていました。ところがめずらしくも5女の誕生日に、その5人全員が集まってお祝いする事ができて、わたしたちもその仲間入りをしました。お友達も参加です。

よく食べ、しゃべり、よく笑う娘たち(友達も)の姿を見ながら、ここまで無事に育ってくれた、信仰を持ってくれたと感謝したことでした。孫たちも笑ったり,泣いたり(自分が誕生日のうたのピアノを弾きたいと)とにぎやかなことでした。

たったひとりで、48年前にアメリカの地を踏んだわたしでしたが、このような大家族?になったのです。

今日あるは、神の恵みであると神を賛美したことでした。今度ファミリー全員で集まるのは何時のことでしょうか?

毎日彼女たちの家族のために祈る私たちです。

吹上

2008年9月10日水曜日

ヨシュアについて

その従者なる若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋を離れなかった。

出エジプト記3:11

ヨシュアについて聖書はこう記しています。

彼の特徴を一言で表すならば「従者」であります。神が用いられる器は、どんな時にも従順
であることです。また彼は幕屋即ち神の臨在を愛する、礼拝を愛する人でした。

モーセの後継者として選ばれたヨシュアは、不安、恐れ、弱さがあったことでしょう。それゆえに神は「強くあれ、雄々しくあれ、恐れてはならない」と幾度も語られました。

「さてヨシュアは年が進んで老いたが、主は彼にいわれた「あなたは年が進んで老いたが、取るべき地は、なお多く残っている」と。(ヨシュア記13:1)

老いたヨシュアに神は休息しなさいとは言われませんでした。どんなに年を重ねても仕事があるのです。

体が不自由であっても、祈りという大切なわざが残されているのです。

吹上

2008年9月9日火曜日

勝利の秘訣は祈りにあり

エジプトで奴隷となって、悩み、苦しんでいたイスラエルの民を、救い出す指導者として選ばれたのはモーセでありました。

このモーセについてこう書かれています。

「モーセのような預言者はもう再びイスラエルには起こらなかった。彼を主は、顔と顔とを合わせて選び出された」(申命記34:10)

この偉大なる指導者モーセが死に、その後継者に選ばれたのはヨシュアであります。

マックレイは「一民族、また一教会の歴史において指導者が交代する時ほど重要な時はない。多くの人がこの時に失敗し、その働きの結果は消滅する」と言っておられます。

モーセの死は重大な危機にありましたが、後継者となったヨシュアによって、イスラエルの民は、乳と蜜の流れる約束の地カナン入国という偉業を成し遂げるのです。神の働き人は召されても、その働きは継続されて行くのです。

このヨシュアは、アマレクとの戦いの時には、モーセによって司令官として選ばれ、勇敢に戦い勝利を得ています。その背後にはモーセが手をあげて祈りをささげていました。(出エジプト記17:8−13)

教会の戦いの勝利の秘訣は祈りにあります。個人の信仰生活の勝利も同じように祈りにあります。

吹上

2008年9月8日月曜日

神の臨在に生きる(3)

神は「私自身がいっしょに行って、、」と、モーセに約束されました。

エジプトを脱出したイスラエルの民を、神が与えると約束された、乳と蜜の流れるカナンの地に導いて行くことは大変なことでありました。

荒野の旅の途中で、いろいろな問題が起こりました。彼らは飢え,渇き、疑い、つぶやき、不信仰になりました。指導者モーセを責め、苦しめました。

そのようなモーセを、神は励まし、支え「わたしはあなたとともにいる」と約束されたように、いつも、どんなときにも共にいて、助けられました。

はじめは、御使いを遣わすと言われましたが、モーセはそれでは満足せず、必死になって神の臨在を求めました。そうして、ついに「私自身が一緒にいくであろう」と、約束されたのであります。(出エジプト記33:14)

私は、神にいろいろなことを願い求めます。しかし、何よりも最も求めるべきことは、神の臨在、神が共にいてくださるということだと確信します。

吹上

2008年9月6日土曜日

生老病死

ダビデは「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも,わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです

詩篇3:4

だれもが、この死の谷を避けて通ることはできません。

「生老病死」の四苦の中を歩むでしょう。しかし、神はどのような人生の苦しみや、悲しみの時にも、共にいて慰め、力づけ、導いてくださいます。

たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災いはあなたに近づくことはない

詩篇91:5−7

詩人は、神を信じる者の勇気と喜びを歌っています。その秘訣は、神がともにおられるという確信のゆえであります。

「臨在」とは、神がいつも共にいて下さる、私が行くどこにも、神が共に行って下さるということです。

祝福をお祈りします。

吹上

2008年9月5日金曜日

引退生活

神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである

コリント第一の手紙15:10

1997年の夏、ランチョラコスタ教会で、わたしたちの引退祝賀会を持ってくださいました。

40数年の牧師生活ですが、お祝いしていただくほどのご用をしてきただろうかと反省させられたことでした。

アメリカでは「おめでとう」と、皆様が祝って下さるのですが、日本ではどうなのでしょうか。今までご苦労様でした、無事によく務められましたね、というねぎらいのお祝いでしょうか。

長いようで、短い40数年の牧師としての働きでありましたが、神の恵みのゆえにここまで来ることが出来ました。

神の恵みとともに、多くの方々の愛とサポートによって、弱いわたしでしたが、強められた日々でした。皆様の背後にあっての祈りを心から感謝いたします。

引退生活も早や11年を過ぎました。

そして高齢者となった今、今後どのように生きるべきかを考え、さらに実りある余生をと祈っています。

続いてお祈りのなかにお覚え下されば感謝です。

吹上

2008年9月4日木曜日

神の臨在に生きる(2)

ヤコブが家を出て、荒野で石を枕にして眠りについたときです。神は夢の中で「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたを捨てず、、」と約束されました。

創世記28:15−16

渡米した私にとって、大きな問題は英語の理解力不足と孤独でありました。ヤコブのようではないにしても、心の砂漠というべきでしょうか、知人の数少ない環境でした。

そのような日々の生活のなかで、私が支えられたのは、聖書の約束のことばでした。「わたしは共にいる、わたしはあなたを捨てない」そしてこの約束は真実でした。


神の臨在が、その当時の孤独だけでなく、今日までのアメリカでの生活48年間を支え、守られてきました。一人では乗り越えられなかったことです。あの時にも、この時にも、神は共にいて下さったと感謝することばかりです。

これからの人生も決して楽なことばかりではないでしょう。老いの問題、肉体の衰え、経済問題、人間関係の問題その他、、。

神の臨在があるかぎり、なにも思い煩うことはないのです。見捨てられることはないのですから。


吹上

2008年9月3日水曜日

神の臨在に生きる

わたし自身が一緒に行くであろう

出エジプト記33:14

新改訳聖書は「わたし自身がいっしょに行って、、」と訳されています。

もっと古い訳は「我親(みづから)汝と共に行くべし」とあります。英語の聖書では「My presence will go with you」です。

神の臨在とは、神がわたしと共に行ってくださるということで、すばらしい約束です。今までもそうでありましたが、これからの人生も、神の臨在があるというのです。

神と共に生きることによって豊かな老後を、霊の祝福に満ちた歩みを続けたいと願います。

ウエスレーは「人生で最も良いことは、神がわたしと共におられる事である」と言い残しました。

神がどんな時にも一緒に行ってくださる、いつもわたしのいる所に神が臨在してくださるということは、なんと力強い、祝福に満ちた約束でしょう。

吹上

2008年9月2日火曜日

健康であること

日本時間夜中の一時にIさんから電話がありました。

何事かと思いましたが、10月末の集会の件でありました。

会話の中で知ったことですが、わたしが後期高齢者であるということで、土、日曜とご用が続くと、お疲れになるのではないかと言って大変気を使っていてくださるということでした。

9月末には修養会のご用があり、また一日に2回のご用をすることもあります。今は元気に奉仕をしていますので遠慮なくお使いくださいと返事をしたことでした。

2006年の1月2日の手術(日本で)のことで案じてくださっての気配りでした。

75才からアブラハムの新しい旅立ちがあったように、わたしも主のご用のためなら、どこにでも出かけて行きたいと心に決めたことでした。8月は7回のメッセージを伝えるご用に招かれています。感謝と喜びにあふれています。

このようにご用ができるまでに健康を強めてくださった神に感謝しています。神を賛美します。また、多くの方々が祈りのサポートをしていていてくださることを心からお礼申し上げます。

健康であるということだけでも感謝であるのに、なおも奉仕ができるということは嬉しいことであります。

皆様、続いてお祈りの中にお覚え下されば感謝です。

吹上

2008年9月1日月曜日

そこに祭壇を

アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた

創世記12:7

カナンの地に着いたアブラムは、そこに先住民のいることを知り、心の中に不安があったことでしょう。

その時に主はアブラムに現れて「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」と言われました。(創世記12:7)そこでアブラムは、神を礼拝するために祭壇を築きました。そのことはアブラムが神第一の生活をしようとする姿を示すものです。

わたしは、自分中心の生活か、それとも神第一の生活をしているかを問われます。

アブラムにとって、祭壇がある生活は、神と交わる所でありました。また神を呼ぶ所でありました。


「西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は祭壇を築いて、主の名を呼んだ」(創世記12:8)

日々の生活の中に、祭壇があるでしょうか。神と交わり、神を呼び,神に祈る生活です。目に見える祭壇ではなく、朝ごとに聖書を読み(神に聴く)祈り(神に語る)神と交わる時間を持つこと(デボーシヨン)です。

そこから一日が始まるという習慣を身につける人は幸いです。心から主を呼びましょう。
「このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、、」(詩篇1:3)

吹上

2008年8月30日土曜日

心の雑草

御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容,慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これを否定する律法はない

ガラテヤ人への手紙5:22−23

我が家には、小さな箱庭が幾つかあります。

木で箱を作り、そこに土を入れ、そこに野菜を植えて成長を楽しんでいます。実際にやってみて、いろいろなことを教えられています。

太陽の光がよく当たるところと、日陰の多いところでの育ちは違います。(日陰の好きな植物もあります)

神の恵みの光を受ける程度によって、人の霊的な成長も違ってくるでしょう。いのちの光であられる神の恵みを心一杯にうける毎日でありたいですね。

水も大切です。やりすぎると根が枯れることもあります。不足すれば成長がおそいです。適度の水をやることに失敗し、水をやりすぎてしまうのです。(早く育てようと)

水は聖霊を示すと言われています。

「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。(ヨハネによる福音書7:37−39)

聖霊の満たしには、多すぎるということはないでしょう。日々聖霊に満たされ、導かれる人は幸いです。

堆肥も必要です。水だけでは十分ではありません。野菜のごみや落ち葉(腐葉土)などを土に埋めることです。(毎日穴堀りです)そうでないと成長は期待できません。

土つくりは大切です。特に雑草を取ることが大切です。そうでないと、野菜よりも成長が早く、結実を期待するこはできません。(雑草は強く,どんどんと大きくなります。)

人の心の雑草も取り除かないと、良い行いの実(御霊の実)を結ぶことは困難でしょう。

世俗老人の心も、神のことばによって、砕かれ、やわらかくされ、素直にされることを日々祈っています。

吹上


2008年8月29日金曜日

世俗老人の心を豊かにする神の御言葉

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためである」

ペテロ第一の手紙2:2

何不自由のない、ものが豊かな生活であれば、人は心の豊かな日々を過ごせると思うのですが、どうもそうではないようです。

ものは物であって、心を養い、豊かにしてくれる物ではないようです。

終戦後のもののない時代、辛抱を強いられた日々の生活、それだけに今の社会に見られるような心の問題がなかったように思えます。

巷には物があふれ、感謝する心がうすれ、さらに欲望だけがつのります。だからこそ、心の糧をとることが大切ではないでしょうか。

人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである

マタイによる福音書4:4

パンも必要ですが、それだけではなく心の糧、神の御言葉が、唯一この世俗老人の心を豊かにするのです。

吹上


2008年8月28日木曜日

ペテロの晩年

よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯をむすびつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう

ヨハネ21:18

礼拝で「ペテロの晩年」について語りました。

若いときのペテロは、自分で帯をしめて、自由に自分の思いのままに歩きまわりました。しかし晩年には、ほかの人が帯を結びつけてくれ、手をとって行きたくない所へ連れて行くであろうというのです。

このようなことは、わたしたちの人生にも起こることであります。

自動車を使って、自分の行きたいところに、自由に動いていたのに、高齢や病気などで運転ができなくなると、他の人のお世話になるのです。

私の好きなヘルマン:ホイヴェル師の友人から贈られた詩の一節です。

「若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人の役に立たずとも、親切で柔和であること、老いの重荷は神の賜物、、、」

「謙虚に人の世話になり」という言葉のように、素直に人の親切をうける世俗老人の晩年でありたいと思います。

吹上

2008年8月27日水曜日

わたしの平安(2)

死を前にしても奪われない平安、それはどのようにして得られるのでしょうか。

イエスさまは、次のように語れました。

「わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない」(ヨハネ14:30)

「この世の君」とはサタンでありますが、イエスさまに対して何もすることができなというのです。それゆえに十字架刑の死を前にしても平安を持っておられました。

「わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである」(同14:31)

イエスさまが、父なる神を愛し、全く服従しておられるお姿です。

この神への信頼、全き服従、そして神を愛し、神に愛されている確信のゆえに、どのような苦難の中にあっても、また死を前にしても奪われない平安を持っておられました。

「わたしをつかわされたかたは(父なる神)わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになることはない」(ヨハネ8:29)

神と一緒におられるということから来る平安です。

聖歌の中に「主のやすき 主のやすき

        われはうちに 今もてり」とあります。

明日ではなく、今、あなたは主イエス・キリスト様の平安を持っておられますか。

吹上

2008年8月26日火曜日

わたしの平安

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな。またおじけるな

ヨハネによる福音書14:27


この度の北カリフォルニア行きの用件は、W教会でメッセージをお伝えすることでした。

その礼拝メッセージで語ったのが「わたしの平安」とゆう題でした。イエス様の持っておられた平安であります。

人は死を前にすると不安になることでしょう。イエスさまは、その死、十字架刑による最も残酷な死でさえも奪うことのできない平安を持っておられました。その平安を、わたしは残して行く、与えると約束されました。

その平安は「イエスの遺産」と言ってもよいでしょう。この世の与える遺産は、金銀や物でしょう。しかし、イエスさまはこの世のものとは異なる、この世の何物も与えることのできない「平安」を遺産として残してくださったのです。

この平安は、この世だけのものではなく、神の国につながる、永遠の祝福であります。ゆえに死を前にしても心は平安であり、天国への希望に輝いて生きることができるのです。

吹上

2008年8月25日月曜日

孫たちと遊ぶ(2)

翌日、ヘイワードの長女宅から、1ヶ月前にサクラメントに移って来た次女のアパートを訪ね、孫たちにも会うことができました。

彼らがシャトルに住んでいたときは、年に一度訪問したことでした。彼らも同じように一年に一度ほどサンデイェゴを訪問しました。孫たちは会うたびに成長しており、会話もしっかりとしてきました。それに比べ自分は成長していないと反省させられます。

この孫たちも、ヨーバリンダに住む孫たちと同じように「おじいちゃん」と日本語で呼んでくれます。でも後は英語だけです。

孫たちに日本語を期待するのは無理です。娘たちが日本語が話せないのですから。日本語を学ばせたこともありましたが、ものにはならず残念に思っています。

大学時代に日本語クラスに入ったのですが、それも役立たずに終わりました。

孫たちのすぐ近くにプールがあり、毎日のように泳いでいます。この前よりもよく泳げるようになっていました。男の孫はスクータで走りまわっています。その元気な姿に驚くばかりです。

自分もそのような時があったのにと思いながら、可愛い孫たちを見守っていました。

吹上

2008年8月23日土曜日

足を洗う

自分は神から出てきて,神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。

ヨハネによる福音書13:3−5


W教会でのご用のために北カリフォルニアへ。

家内と車で行く予定でしたが、関節炎からくる首の痛みのために中止。この度は飛行機で行く事になりました。

オークランド空港には長女が迎えに来てくれました。婿さんと二匹の犬に歓迎してもらいました。黒犬がアキ、白犬がクマ、日本からアメリカに移住した犬であります。でも英語のほうが分かるようです。

台所で立ち話しをしていると、その二匹の犬が片足づつをペロペロとなめてくれるのです。愛情を示してくれるのでしょうか?それとも汚れた足をきれいにしてくれるのでしょうか。

その時にイエス様の洗足を思い出しました。

当時は、足を洗うことは奴隷の仕事であったようです。その洗足をされたイエス様に深く教えられます。

吹上

2008年8月22日金曜日

アメリカでの生活(7)

サンタクララ教会はシリコンバレーにあり、日本からの駐在員家族の方々が多い地域でした。子どもさんを連れた若いお母さんたちへの伝道が中心でした。

日本で信仰を持たれた方々が中心になって伝道の働きがすすめられました。沢山の方々が聖書や子供の教育について学ぶために来てくださいました。

ただ残念なことは数年の滞在で帰国されることでした。日本のミッションに働き人を送り出す思いの伝道でした。今も日本でよい働きをしているか方々がおられ、とても嬉しく思います。

年齢を重ねるにつれ、少しずつ霊肉ともに弱きを覚える年令になりました。

これ以上奉仕することは、教会の成長にならないと感じていました。その事情を理解していただいて転任いたしました。

数ヶ月休養した後、1995年1月からランチョラコスタ教会での牧会をはじめました。この教会での働きは2年と数ヶ月でした。私たちは遠距離に住んでいましたので、充分な牧会ができないことに心を痛め、退職を決意しました。

いよいよ引退生活が始まったのです。

吹上

2008年8月21日木曜日

アメリカでの生活(6)

サンフェルナンド教会での奉仕は、2年という短いものでした。

新しいサンディエゴ教会では、10年間ご用をさせていただきました。その当時の北米ホーリネス教団の方針は、一つの教会での奉仕は4年から8年であって、その期間に転任するこになるというのでした。

その8年以上になるので、サンタクララ教会への転任の話があったとき、ためらわず決心しました。後日子供達は親しい学友たちと,住み慣れた土地を離れる事は辛かったということを聞いて、申し訳ない心で一杯でした。


現在は、教会でも奉仕を続けてほしい、本人もここで主に仕えたいという希望があれば転任することもないというようです。それは教会にも、牧師家族にもよいことでしょう。しかし、わたし個人の意見では、ある年月が過ぎたなら、牧師が変わることは、教会にも、本人にも新鮮なものが与えられるのではないかと思っています。

  あたらしき地に ふいいだす

  こころにそなえ ありや見よ

   (おりかえし)

  ヨシュアのごとく われもいわん

  「わが家とわれは 主につかえん」(聖歌584)

サンディエゴ教会では、もっとも働き盛りと言われる40才から50才の年月をご用することが出来て感謝でした。

それは、多くの方々の愛と労苦に支えられてのことでした。

吹上


2008年8月20日水曜日

アメリカでの生活(5)

ロサンゼルス空港に到着した私たちを、サンフェルナンド教会の英語部牧師Tご夫妻をはじめ、教会関係の方々が歓迎してくださいました。

家族が多いので、上下二つのアパートメントを借りる予定でしたが、直前になって一軒家をレントすることができほっとしたことでした。数年後その家を教会が購入し牧師館になりました。

当時は日曜日に働く人が多いので、土曜日の夜に礼拝を持っていました。それで各週ごとにサンディエゴ教会の礼拝や家庭集会のご用をするこができました。片道3時間ほどのドライブですが、若さのゆえに2年間奉仕をすることができました。

シカゴのような寒さもなく、子供たちは広い裏庭で楽しく遊ぶことが出来ました。学校生活を始めた子供もいました。

早朝の大地震で驚いたこともありました。教会の建物を案じ、我が家を飛び出して見に行ったことを思い出します。

この教会での2年という短い奉仕の後、サンディエゴ教会だけの牧会ご用のため転任しました。

1971年の夏でした。

吹上

2008年8月19日火曜日

「師」でなく「死」

わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである

ガラテヤ人への手紙 2:19−20

教会では、牧師である私の名前のあとには「師」がつきます。

吹上師

ある時、誤植で、「吹上死」と書いてありました。お詫びの電話を頂戴しましたが、私は大笑いをしたことでした。(読まれたひとは、まさかわたしが死んだとは思われないでしょうね)

この時、私は別の「死」(自我の死)を考えさせられました。

ある方が、生前に自分の葬儀をしてもらったということを読んだことがあります。死んでからではなく、生きているうちに、友人や知人に集まっていただきメモリアルサービスをするのも面白いことだと思いました。

思い出や失敗、欠点などを語ってもらうと、よい反省になります。残された余生が豊かな日々となるのではないでしょうか。

余生は、自我に死に、キリストに生かされる喜びにあふれて過ごします。

吹上

2008年8月18日月曜日

光輝高齢者

私は、自分はすでに捕らえたなどと考えていません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト:イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

ピリピ3:13-14

1ヶ月ほど前に、裏庭に咲く朝顔について書きました。

その数は日ごとに増して、今朝は200を数えました。木を登り、塀を越えて、上へ上へと成長しています。

老いて下を見がちなわたしにとっては大きなチャレンジであります。

「上を向いて歩こう」ではありませんが、天に目をむけて、希望にあふれて生き続けたいと思います。

後期高齢者の仲間入りをしましたが、わたしは後期を「光輝」と勝手に考えています。天国に向かって光り輝いた日々を歩みたいと祈り励んでいます。

吹上

2008年8月16日土曜日

時に..(2)

わたしはあなたの子孫にこの地を与えます。

創世記12:7



神が最初にアブラムに語られ時は、アブラムが父との死別という悲しみの時でした。(創世記12:1)

二度目に語られたのはアブラムがカナンの地に導かれたときでした。「そのころカナンびとがその地にいた」というのです。この地が間違いのない土地であろうかという不安や疑いのあった時に、神様はアブラムに語りました。

神様は「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」(創世記12:7)と約束されました。この先住民のいる土地に導かれたことは、神の導きであったのです。

わたしのアメリカ行きもアブラム同様、時には思いもしない場所に導かれたことがありました。そして48年もこの地に住むことになるとは考えもしないことでした。

私の生活変化の背後にはいつも、アブラムと同じように神の導きあったことを,後に知ることが多くありました。時には自分の決断であっても、神は軌道修正をして、最善へと導いてくださいました。

神は人生の要所要所に、聖書の御言葉を通して私に語りかけ、導いてくださいます。

吹上

2008年8月15日金曜日

アメリカでの生活(4)

シカゴでの生活は、1960年の初夏からスタートしました。それから1969年の秋まで、様々な生活の変化や経験がありました。

日本では、社会人から神学校での学びに移り、卒業後5年の牧師としての働きがありました。

(この5年は大切なこと)アメリカではその牧師生活から、再び学生としての学びに戻りました。それは英語で苦労する4年の毎日でした。その間に、結婚、出産がありました。(そのことは後日書くでしょう)

学校での学び、パートタイムの仕事、そして教会でのアシスタントパスター(L教会)のご用もあり多忙な生活でした。

4年後、牧師としての資格で永住権を申請しました。そのときの一つの条件は、牧師としての経験が5年以上であることでした。感謝なことに日本で5年の牧会経験があつたことでした。問題もなく永住権を獲得することができました。

その後S教会に転任し4年ほど奉仕をしました。そのことが、今の北米ホーリネス教団とのつながりになり西海岸での牧会をすことになるのです。

わたし一人でアメリカでの生活をはじめたのですが、1969年10月は、7人家族(子供5人)と共に、シカゴを去り、S.F教会での伝道のためにカリフォルニア州に飛び立ちました

吹上

2008年8月14日木曜日

アメリカでの生活(3)

旅人をもてなすことを忘れてはいけません。

ヘブル13:2

汽車の中でのも一つの失敗があります。

車掌さんが、マクラと毛布を手渡してくれましたので受け取りました。しかもお隣のひとの分までもらいました。(ちょうど席をはずしておられたので)親切な車掌さんだと思ったのですが、それは有料でした。

請求された金額も分からない、お金の勘定もできないのです。

お金を手の上にのせて必要額を取ってもらいました。(勿論ふたり分です)やがてお隣のひとが席にもどり、そのマクラと毛布を使われました。しかし彼は幾らとも問いません。

わたしも幾ら払ったから、払ってほしいとも言えません。まあよいか、アメリカでのはじめての親切をしたと思えばよいと考えていました。(でも後で、この国では自分勝手な親切はしないことがよいということを知りました)

16時間後にシカゴの駅に無事に着きました。K夫妻や家族の皆様のあたたかい歓迎を受けました。

心からほっとした忘れられないひと時でした。

吹上

2008年8月13日水曜日

アメリカでの生活(2)

ニューヨークからシカゴまでの旅は汽車でありました。

それは話し相手もなく、車中では常に不安でした。英会話の出来ない私は、お腹がすいても食堂車に行く勇気もなく、16時間、ただただ水だけを飲むというハングリー(hungry)な、あわれな一人旅でした。

今だからニコニコしながら書いていますが、その時は泣きたいような心境でした。

その車中の失敗を読んで笑ってください。

水を飲もうとしてもカップがないのです。ふと下をみると多くのカップがありました。わたしは手をさし入れて一つのカップを取り出し、それで水を飲みました。

そして満足(お腹を満たし)して、ふと上をみると、新しいカップが置かれているのです。はっと気がついたことは、あのカップは何なのか? それはused(使用済み)でした。

あわてて新しいカップを抜き取り、それでうがいをしてから、水を飲みなおしたのであります。後味のわるい失敗でした。

でも「失敗は成功のもと」と言います。それ以来は長いアメリカ生活で二度と使用済みのカップを使ったことはありません。(笑)

吹上

2008年8月12日火曜日

アメリカでの生活(1)

貨物船「オレゴン丸」は南カリフォルニアにあるサンペドロ港に着きました。

そこで同船していた4名のお客さん全員が下船し、私だけがニューヨークに向けて航海を続けました。こんな客は珍しいということでした。

毎日景色の変化はなく、海、海、そして青い空でした。何もすることがなく、話をする客もないので、船内に置かれていた本をひたすら読み続けました。

船のおかげで、名前だけはしっていたパナマ運河を通過した時は、とても大きな感動を覚えました。

ひとつの枠の中に船をいれて、水で浮かばせ、次の枠に進むというのです。反対に船を下げる作業もありました。暑い熱帯地であり、濃いみどりの美しい印象が残っています。

ニューヨークにに入港し、移民官の検査をうけて、やっと陸地に足を踏み入れたことでした。

このアメリカで新しい生活がはじまるのだと心が燃えるよりも、不安の方が大きかったのです。

英語も分からず、この大陸で生活していくという不安は、いざアメリカに住んでみないと分からないことでした。

吹上

2008年8月11日月曜日

先住の民がその地にいた

アブラムの一行が着いたところは、誰もいない土地ではなく「そのころカナンびとがその地にいた」

創世記12:6

75歳のアブラムは、神のことばに従って旅立ちました。それはきびしい、危険な砂漠を越えてのことでした。

神が示され,導いてくださる新しい土地、そこは先住民もいない楽園のように考えます。しかしそうではないのでした。先住する人々がいるというのです。

アブラムの心には「ここが神の導かれた土地なのだろうか」という疑いもあったのではないかと思います。このようなことなら、ハランを出てくることもなかった、そこにはまだまだ開拓する土地もあったのにと考えることもできます。

今までにまさる乳と蜜の流れる土地ではないのです。先住民がいる、何故そのような所に住まなければならないのか。ここが来るべき場所であったのか?別の場所があるのではないかという思いがあったことでしょう。

アメリカに来て、日本では経験しない問題や苦労を重ねたとき、わたしが来るべき場所ではなかったのではと考えたことがありました。

日本にいたならこんなことまですることのなかったのにと思いました。しかしアメリカでしか体験できない数々の貴重なこともあったのです。わたしの知らないところで、神の導きがあったというのです。

吹上

2008年8月9日土曜日

開拓伝道時代(2)

O教会での伝道が落ち着き、時間の余裕もできたときでした、津山市のT教会から無牧(決った牧師がいない教会)伝道集会の招きを受けました。ご用を重ねるごとに多くの青年たちが集まるようになりました。

しかしその教会は教団が違うことから、問題が起こりました。板ばさみになったわたしは、両方の働きから身を引いて,京都の実家に戻りました。勉強がしたいという理由で..。

ところが、K夫妻(当時1年の計画で郷里伝道のため訪日中)から手紙や、電話で「勉強がしたいのでしたら、2年でよろしいからT教会で奉仕してくだされば、アメリカで学ぶ事が出来るように計画します」とすすめてくださいました。

T教会でも、私がはじめての定住牧師でありました。そこに於ける働きも祝され、楽しい伝道ができ、青年たちがよく集まってくれました。そして約束どおりにアメリカに出発することになるのです。

その後のアメリカでの苦労も考えずに..。

吹上


2008年8月8日金曜日

開拓伝道時代

神学校を卒業して、伝道のために遣わされた教会は、岡山県の北部にあるO町でした。

教会は津山市と鳥取市の中間ぐらにあり、教会堂はなく、I兄姉宅が集会場になっていました。その集会は、毎週ではなく特別な牧師が来られたときに持たれていました。

そのような教会に、牧会経験のない新米者であるわたしが、はじめての定住牧師として遣わされました。都会生活しか知らないものが、農村伝道の、しかも開拓といってよい働きをするのです。

当時はテレビもなく、娯楽のすくない農村でしたので、集会には多くの子供たちが来てくれました。日曜日には礼拝を終えてから、各村々で子供集会を持ちました。またその後大人の集会をすることもありました。

一日に9回のご用をしたことでした。G村では一日の畑仕事を終えて、食事を済ませてから提灯をさげて婦人方が集われました。わたしは集会を終えて帰宅するのですが、雨の日には自転車(自動車でない)がすべり、田んぼのなかに落ちそうになった事もありました。

それも若さのゆえに楽しい開拓伝道でした。救われた若い人々も加えられて、青年会はにぎやかで活気がありました。

吹上

2008年8月7日木曜日

世俗老人の神学生時代

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

ヘブル12:11

母教会である、京都信愛教会(当時は岡本泰三牧師)より、同年に3名の献身者がありました。

O兄と私は関西聖書神学校(塩屋の神学校とも言われていた)に。K兄は他の神学校に入学しました。数年の社会生活から、神学生としての学びに戻ったわたしには、まさに苦学生でした。

毎日が学びに追われました。今考えてみれば、神学校での4年、そしてアメリカでの4年間の学びは、楽しいというより、学びに追われる苦しい年月でありました。このような中で、中途退学もせず

(やめたいと思ったことは度々あり)今日あることは、ただただ、神のあわれみによるのみです。

神学校は全員寄宿制度であり、上級生(下級生)との同部屋であります。年令も性格も違うので、大変よい訓練でもありました。入室早々に、講堂に導かれ「吹上兄、祈りましょう」と大声で祈られた時は、驚きと恐怖で一杯になつたことを今も覚えています。

学びのほかに、炊事当番があり、風呂のかまどの作業(薪で湯を沸かす)掃除(毎朝冷たい水で)がありました。ぞうきんをとるより、ほうきを先どる競争?もありました。午後の体育?は農作業であり、小麦やサツマイモ作りでした。

多くの収穫があり、食生活のヘルプになりました。沢村校長自らも作業に出ておられました。又各教会に遣わされて、日曜学校や司会、メッセージなどの奉仕活動がありました。このような経験は、その後農村教会の開拓に使わされたわたしには大切な学びであったと感謝したことでした。

吹上

2008年8月6日水曜日

世俗老人の青年時代

あなたの若い日に,造り主を覚えよ

伝道の書12:1

わたしは、若くしてS会社に就職しました。家、仕事、そして教会生活という平凡な日々を過ごしていました。


その当時は娯楽も少なく、教会ではサンデースクールで教えたり,青年会での交わりや奉仕に喜びをもち、集会に出る事が楽しみでした。その青年会から牧師や、牧師夫人になった人も多いです。どこに行くよりも教会に集まることを喜びとした青年たちでした。

路傍伝道に出かけたり、会堂建築の資金を集めたりしたものでした。ボランテア活動として、洪水の後の清掃作業に参加したこともあります。

クリスマスには劇で、イエス様役をしたこともあります。役のなかで、復活されたイエス様が、マリヤに「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです」(ヨハネ20:17)と言われたときの場面を、今も鮮明に覚えています。

吹上

2008年8月5日火曜日

世俗老人の少年時代

私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました

ピリピ人への手紙 4:11

わたしの少年時代は今の若い方々には想像もつかない「太平洋戦争」という緊迫のなかに生きたということです。小学生であったので、戦地での苦悩は知りませんが、特攻隊に憧れたものでした。(もう少し戦争が続いていたら、私は戦死をしていたでしょう)

戦争前後の生活は、特に食料難は、今の日本の豊かな食生活では考えられないことです。ほとんど米はなく、さつまいもではなく、そのいもの蔓や葉を食べました。たべられる雑草は野菜代わりに食べました。そのためか雑草のように生き延びることができました。

当時の苦難を思うと、どのような苦しみや、物質不足の中にも生きていくことができるようです。

人間の生命の強さ、生きることへの執着、そして尊さを知ったことでした。

吹上

2008年8月4日月曜日

両親の祈り

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても,私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。

詩篇23:4

わたしは三才の時、腸チフスのために死線をさまよいました。

医師からは死の宣告を受けるほどでした。わたしを入院させる費用もなかったというのです。両親は神の癒しを祈りました。

父は住吉山に登り、私のために徹夜の祈りを捧げました。山での祈りを終えて帰宅するとき、知人に出会いました。その方は丁度何かの費用にお使い下さいと御見舞いを、私の家に持っていくところであったのです。そのときから私は薄紙をはぐように、すこしづづ健康を回復していきました。

両親は、わたしが重湯をにっこりと笑いながらおいしそうに食べる姿を見て涙があふれ、この子は神に生かされたのだから、神にささげようと思ったというのです。

それゆえに、わたしが牧師になる召しをうけて神学校に入ることになったと知った時は、とても喜んでくれました。

吹上

2008年8月2日土曜日

世俗老人の幼年時代

私は自分が誕生した時の(ベビーの)写真をみたことはありません。

貴重な写真として残っている一枚だけの写真があります。礼拝後に多くの方々と共に、母のひざに座している1才ぐらいのものです。今の面影はなく、ぽちやっとした丸顔で、めがくるっとして可愛い?幼児に見えます。

わたしの名前は信一ですが、両親の出席していた教会の小川牧師が命名してくださいました。

クリスチャンホ−ムに生まれ、親に、教会の方々に愛され、祈られ、育てられました。牧師は「この子が神様に用いられるものになるように」と頭に手をおいて祈られたというのです。

日曜日の朝になると、妹と一緒に教会学校(サンデースクール)に行きました。教会堂はなく、家の集会でした。その家の前で、タイコをたたき、集会の案内がされていました。今もそのときの歌を覚えています。

  1 まもなくかなたの ながれのそばで
    楽しくあいましょう またともだちと

    (おりかえし)

    神さまのそばの きれいなきれいな川で 

    みんなで集まる日の ああなっかしや

  2 水晶よりすき通る ながれのそばで
    主を賛美しましょう みつかいたちと  (聖歌687)

生まれる前(胎児)から教会に通い、生まれたときから母親に抱かれ、賛美歌を子守うたのように聞きながら、礼拝を守る事が出来ました。そうでないなら、後日信仰に導かれたかどうか分からないからです。

このように育ててくれた両親に心から感謝するものです。

吹上

2008年8月1日金曜日

本との出会い

寝るときに本を読むのが習慣になっています。

昨夜は、こんなことばが心に残りました。

「誰でも、何かで傷つき、落ち込むことがありますよね。、、本を読むということは、エレルギーをもらうということです。本を読むことは、自分の心を育てるということです」

(夢をかなえる心のレッスン」(中井俊巳)


わたしは本を読むことで、どれだけエネルギーを与えられたことか、また自分の心を育て養ってもらったことでしょう。(感謝で一杯です)

一行でも、二行でも心に触れる文章があれば,買ってよかったと思うのです。

わたしが、60年以上も毎日読んでいる本は聖書です。この本だけは、読んでも,読んでも、ますます心がひかれます。ものすごいエネルギーが与えられ、心が養われ、育てられます。

聖書は世俗老人の心の糧、心のごはんです。

吹上


あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です

詩篇119:105

2008年7月31日木曜日

孫たちと遊ぶ

孫たちの顔がみたくなり、ニクソン図書館の近くに住む娘一家を訪ねました。

孫たちは私を「おじいちゃん」と呼んでくれます。

グランパーと呼ばれるよりは「おじいちゃん」といわれるほうが心に(頭に?)ジーンときます。日本語は「おじいちゃん」だけで、あとの会話は英語です。

世俗老人の偽らざる心境です。

娘に、散歩道にもなっている大きな公園に案内してもらい、孫たちと楽しく遊ぶことができました。またよく歩き、かけっこした夕方でした。

歩きすぎてのどが渇き、途中でフローズンヨーグルトを食べ、孫たちは大喜びでした。どの子どもも甘いものには目がないようです。

沈みゆく夕日もきれいでした。大きな池には水鳥が泳ぎ、のどかで、平和な風景でした。

その夜、孫達が床に入る前に、私に大きなハグをしてくれ、I love you と言ってくれました。一日の疲れが飛んでいくようでした。

孫たちと一緒に過ごすと、若さのパワーを与えられた気分になります。

また明日も希望にあふれて生きていこうと思った半日でした。

吹上

2008年7月30日水曜日

魚釣り

今からあなたは人間をとる漁師になるのだ

ルカによる福音書5:11

父と京都の嵐山でよく魚釣りをしました。子供の頃の楽しい思い出の一つです。

私の住むサンディエゴでは、冬の寒い早朝によく釣れるのがマスです。若いときは、休日になると、その寒さも苦にならず、朝早くから出かけたものです。(今は、その寒い朝が世俗老人の体によくないようなので行かなくなりました)

魚釣りの醍醐味は釣った魚を食べるというよりも、釣れたときの感触でしょうか、釣竿のゆれには毎回心がおどります。

桟橋から海釣りをしたこともあります。

今でも忘れられない一つのことは、サバが釣れたこと、その数51尾です。(本当です、サバはよんでいません(笑))他の人はそれほど釣れないのに、私は入れ食いでした。そのときの餌は(よく人がどんな餌かと問いました)腐りかけたサバでした。そのにおいに魚が集まってきたのでしょうか?

ペテロが漁に行ったが、その夜はなんの獲物もなかったのです。ところがイエスのことばに従って網をおろしたら大魚で、その数は153尾でした。(ヨハネ21:3−14)わたしの3倍の魚です。(よく数をかぞえたものです)

私が献身に導かれた聖書のみことば「今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」(ルカ5:11)このみことばによる召しの確信が、今まで、わたしを支えてくれました。神に感謝しています。

吹上

2008年7月29日火曜日

アブラ(ハ)ムとロト

アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼とともに行った。

創世記12:4


この二人の関係は伯父と甥であります。

アブラムの旅立ちは、主が言われたことばに従ったことでした。それは信仰による服従でありました。しかも、どこに行くのかも知らないで出て行くのです。(ヘブル11:8)

甥のロトには、そのような決断はなかったようです。信頼できる伯父さんと一緒に行くほうがよいのではという、自分の意志による行動のようです。

神のみこころに従った人生と、自分の意志だけで生きようとする人生には、長い人生の結果に大きな違いがあります。

朝ごとに「今日も、神様のみこころに従う一日でありますように。最善に導いてください」と祈るものです。そこに心の平安があり、喜びがあります。

吹上


【今日の聖書の御言葉】

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる」(イザヤ55:8)


「わが道を行く」のではなく「神の道を」神のみこころを求め、そのみこころに従う歩みでありたいと願います。

2008年7月28日月曜日

世俗老人の家庭菜園

裏庭に出て、朝顔や花を見るのも楽しいですが、やっぱり木の実や野菜の成長はうれしいです。

ネクタリンはたった二個の実ですが、その色の美しさは目を楽しませてくれます。昨年百以上の実を結んだ柿の木は5個だけです。貴重なので、鳥に食べられないようにと見守っています。

キューリは2本の収穫。トマトはやっと実がつき始めました。今年は家内の大好物のカボチャがたくさんの収穫がありそうです。

先週ブログにも書きましたが、毎朝レモン湯を飲んでいます。レモンの木は大きな枝が二本も折れてしまったほどに、たわわに実をつけています。ネギやニラも育ち、料理のときにすぐに役立って便利です。

オクラもそろそろ食卓に並びそうです。わたしの好物です。高菜のシーズンは終わりましたが食べきれないほどの収穫がありました。(これは毎年種が落ちて育ちます)

地面下にはジャガイモ、サツマイモ、こいもが育っています。葉だけで実の成長が見えないのが残念です。

木の実や野菜だけでなく、そこに鳥や虫、チョウチョも飛んできてくれます。

にぎやかなで、手入れも楽しいわが庭です。

吹上

2008年7月26日土曜日

世俗老人の健康管理(運動と睡眠、神との交わり)  

近くのジムに通い、機械(トレッドミル)の上を30分歩きます。そして水泳というより水の中を歩きます。

たまに家のまわりを散歩します。家内と一緒にきれいな花を眺めての散歩もよいもの、楽しいものです。

私は朝型ですから、夜は10時頃になると眠くなります。

どうしても寝不足になりますので、昼寝をすることにしています。若い時にはできなかった贅沢な老人の特権ですね。

すこし食に気をつけ、歩き、眠るという平凡な、人様と変わりのない生活をしています。兎に角、無理をしないようにしています。と言っても、無理もできない体になりましたが..

そして私が一番大切にしているのは心の健康管理です。不安や心配があると、健康にもよろしくありませんね。

わたしの心を養って下さるお方によって喜びが湧いてきます。毎日心を静め、聖書を読み(家内とともに)祈り、神様との交わりを楽しんでいます。

吹上

心に憂いがあればその人をかがませる 心に楽しみがあれば顔色も喜ばしい、心に憂いがあれば気はふさぐ

箴言

2008年7月25日金曜日

世俗老人の健康管理(食事)

朝は熱いお湯にレモン汁を入れて飲むことを習慣にしています。甘味は砂糖ではなくPure Stevia(自然の甘みとのこと)を使用します。

それと朝夕二回、家内流のジュースを飲みます。

その日によって味が違います。それは何を入れるかの規定がないからです。

レモン、りんご、人参、キャベツ、パセリ、セロリ、蓬、ニンニク、ファイバー、グリンマグマ(Green Magma)その他。家内の愛のビタミンが豊富に含まれてます。是非、飲みにきてください。おいしいですよ。

昼は、麺類が多いです。

夕食は魚、野菜が中心です。ごはんは雑穀入りの色とりどりごはんをよく噛んで一膳だけ頂きます。

白米は玄米の粕という人がいるようですが、たまに銀飯がたべたくなることがあります。

吹上

2008年7月24日木曜日

時に ..

時に主はアブラムに言われた

創世記12:1

わたしの父がガンの手術を受けて入院していた時、葬儀に出るよりは、まだ生きている間にと、短い訪日を二度しました。

その日、父はVサインをしながら召天したという知らせを受けました。天国での再会の希望はありますが、やはり愛する父との死別は悲しい時でありました。

人生には様々な悲しみや、試練、苦難があります。そのような「時」は人生の危機でもあり、また、よいチャンスであることがあります。

上の創世記のみ言葉の「時」とは、アブラムにとっても父と死別するという悲しみの時でした。

アブラムはその「時」に、主の語られることばを聞きました。そこから彼の新しい人生、神に従う一歩をふみだしたのです。


自分が死んでも不思議でない事故から守られ、また心臓病の死のふちの病からいやされた時、神様が語りかけてくださり、再献身へと導かれたことでした。

人生の様々な体験をするその「時に」、人の声ではなく、静かに語られる神様の御言葉を聞き、さらにませれる人生へと導かれたいものです。

吹上

2008年7月23日水曜日

ヨブの終りの倖せは

NHK短歌の番組を見ていて、心に残った一句があります。

  現身に
  ヨブの終りの
  倖せは
  あらずともよし
  しぬびてゆかな    津田治子


ヨブについては、旧約聖書ヨブ記の書かれています。苦難の中に置かれている人には慰めとなる書です。

ヨブの人生は、次々と苦難が襲います。所有物(動物)が奪われ、働き人が殺され、10人の子供たちも大風によって倒れた建物の下で亡くなります。

自らも足の裏から頭の頂まで腫物で悩まされ、彼の妻は試練に耐えられず「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神を呪って死になさい」と言いました。

ヨブは自分を呪うことはあっても、神をのろう呪うことはしませんでした。その忍耐の結末は「以前にも増して祝福された」と記されています。

短歌には

  ヨブの終りの
  倖せは
  あらずともよし

とあります。ヨブのような祝された結末がなかったとしても、なおも忍んで生きようと歌っておられます。

どのような人生の結末であっても..

吹上

【今日の聖書の御言葉】 

最後まで耐え忍ぶ者は救われる 

マタイによる福音書10:2


2008年7月22日火曜日

Aさんのメモリアルサービス

人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない

ペテロ第一の手紙1:24−25

Aさんのメモリアルサービスに出席しました。

葬儀社のチャペルの正面に遺骨と、笑顔で列席者を見ておられるように感じるAさんの写真が置かれていました。

いつも礼拝におだやかで、笑顔で出席されていたあの頃のことを思い出します。Aさんは何の苦労もなく、人生を生きてこられた方のように見えました。しかし、32歳のときに、渡米され、英語も分からず色々な試練の中を通られたようです。

Aさんは絵画を学ばれ、度々コンクールなどで入賞されていたようです。Aさんご自身が描かれた絵はがきを頂きましたが、今でも大切にしています。

3ヶ月前に、結婚65年になるというご主人を天に送られ、この7月にご自分も召天されました。

Aさんの晩年は〈86歳で)オレゴン州でやさしい夫や、息子、娘さんたちに大切にされ心満ちた日々を過ごされました。

メモリアルサービルで歌われた賛美は「驚くばかりの」(Amazing Grace)でした。

自分死を厳粛に考え、死への備えをしなければと教えられました。死は終わりではなく、天国への'幸いな旅立ちであります。

Aさん天国でお会いしましょう。

吹上

2008年7月21日月曜日

祝福の基

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう

創世記12:2

ハランを旅立ったアブラハムの生涯は、試練や苦しみがありました。しかし、それだけではなく、主は祝福の約束を与えられました。

人として、悲しいことばは「その人は生まれなかった方が,彼のためによかったであろう」と言われることでしょう。そうではなく「祝福の基」となる人生を歩めることは幸いです。

人生は苦しみだけではなく、その痛みを通って、それ以上の祝福に導かれることがあります。

ヤベヅのように「私を大いに祝福してください」と、神に祈り求め、家庭の中で、職場で、学校で人々に祝福をもたらすものになりたいと願うものです。

吹上

2008年7月17日木曜日

死線を越えて

アメリカに戻り、5週間後に、こちらの病院で手術を受けました。

日本と同じく血管をひろげて、ステント〈細い鉄の管)を入れる手術です。明日は帰宅できると軽い気持ちで手術室に入り、笑いながら会話をしていたことを覚えています。

そのうちに麻酔が効き、意識がなくなりました。

手術は長い時間かかりました。その日の事はあまり憶えていないのですが、家族の話では、術後の夜は食事もして、元気そうだったということでした。

ところが翌日になって体調が急変し、救急車で別の病院に移動し、集中治療室(I.C.U.)に運ばれました。肝臓の機能が完全に停止したというのです。死の危険があり、娘夫婦たちが見舞いにくるので、最後の別れに来たのかと思ったことほどでした。(後日、本当にそうだった事を知らされました)

7日後に退院がゆるされ、やっと歩ける状態で帰宅する事が出来ました。その背後には多くの方々の熱心な祈りがささげられていたのでした。その後も薬の副作用や体調のよくない日々もありました。家の前で意識を失って倒れ、顔面を傷つけたこともありました。

二年半後の今、私は元気に生きています。いや自分で生きるよりも、神に生かされている日々と言えましょう。この世で何かすることが残っている限り生かされるのでしょうね。一日一日を大切に、感謝と喜びにあふれて生きたいと願っています。

修養会の講師と招かれたとき、H師は「死線を越えた牧師」と紹介してくださいましたが、今は只、生きてるだけでもうけものの人生を歩ませて頂いている世俗老人です。

吹上

2008年7月16日水曜日

世俗老人の健康管理(1)

世俗老人も例外なく、体に変化が〈老化)が起こっています。

食べること、運動することに気をつけなければなりません。でもよく食べ、座り続ける生活をしています。

体重はメタボ基準を超え、足も弱ってきました。わたしは走ることに自信があり、陸上競技の選手でしたが、今では歩くにも息切れする様になりました。

2006年。40数年ぶりに、日本でのお正月を迎えました。元旦の京都駅で胸の痛みを覚えました。どうにか階段を上りきり新幹線に乗って、西明石での礼拝を守る事が出来ました。

その午後に宿泊した家の息子さんが医師で、私の胸の痛みの状態を話すとすぐに検査が必要だということで言われ、その日のうちに病院に連絡をとって下さいました。

翌日〈新年の2日目)検査の結果、そのまますぐに手術となりました。それは心臓につながる血管が4ヵ所つまりかけていたのです。

血管を広げ、そこにステントを入れて、血の流れをよくするのです。当日は2ヵ所だけで、後はアメリカで手術をするようにとのことで、一夜の入院で帰宅がゆるされたのでした。

アメリカでの手術後は死線をさまよいました。以来、世俗老人が庭の手入れ以上に、気を使うことは健康管理なのです。

吹上

2008年7月15日火曜日

朝顔


人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉はとこしえに残る

ペテロ第一の手紙1章:24−25節

わが家の裏庭には、色とりどりの花が咲いています。今の時期は朝顔を見るのが楽しみです。

花のいのちは短いですね。その美しい朝顔も夕べにはしぼみます。

加賀千代女の「朝顔に つるべとられて もらい水」という有名な俳句があります。わが家に井戸はないのですが、松の木、ツバキ、バラ、フェンスその他、いたるところにつるがからみついています。

つるは上に這い上がり、花は顔を上に向けています。わたしも朝ごとに、顔と心を天に向け、神様との交わりを楽しんでいます。

吹上


2008年7月14日月曜日

気分転換

最近は読書の後、気分転換のために、小さい庭の手入れをしています。

花以外に、果物、野菜も植えています。

レモン、柿、ビワ、その他。トーマート、カボチゃ、キューリ、ニラ、春菊、ネギ、ジャガイモ、オクラその他。自分で作ったものを食べるのはうれしいものです。

人様に差し上げるほどの収穫がないので申し訳ないです。


吹上

2008年7月13日日曜日

遅読のすすめ

「どんな趣味ですか」と聞かれると、無芸なわたしは「読書」と答えています。

退職前は仕事に関係する本でしたが、今は、何でも本なら読みたいという乱読型です。

以前は速読でしたが、先日から遅読にしています。

それは「遅読のすすめ」という本を読んで感じたことがあったものですから..。

吹上

2008年7月12日土曜日

世俗老人の幼少時代

涙の子は滅びない  アウグスチヌス

アブラハムは、かつてはアブラムとゆう名前で、後日アブラハムと改名しました。

私の名前は信一ですが、アメリカに住むようになって、スポンサーの家族が、フランクと改名してくださいました。

子どもの頃、教会の日曜学校(サンデースクール)で、このアブラムのお話を聞き、「その名前の終わりに「シ」をつけたら油虫だ。」と思ってしまって以来、忘れられない人物となりました。

油虫の別称「ゴキブリ」とシカゴ時代に同居していたことがありました。夜中に起きて電気をつけると、パーッと逃げていくのです。

「ワッー」と叫んで、足で踏みつけるのですが、その逃げ足の早さたるや、私が子供のときに、いたずらをして逃げる時とほぼ同じ速さでした..

世俗老人の幼少時代は、人並み、否それ以上な悪ガキでした。そんなわたし私がキリスト教信仰を持つことができたのは、両親の祈りでありました。

アウグスチヌスは自分の半生を振り返って「涙の子は滅びない」と証しをしたそうです。

両親の涙の祈りはすごいですね。力がありますね。

子どもや子育てで悩んでおられる方がおられますか、今日から祈り始めてみませんか。必ず、神様が救いの手を差し延べてくださいます。


フランク・吹上

2008年7月11日金曜日

ロサンゼルスへ

昨日は牧師会があったので、家を7時にでてロサンゼルスへ。

今日と明日は南カリフォルニア大学(USC)で行われる、北米ホーリネス教団の教団総会に出席します。

土曜日にサンディエゴに戻ります。

吹上

2008年7月10日木曜日

アブラハムと世俗老人

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った

ヘブル人への手紙11:8


旧約聖書に登場するアブラハムは、私の好きな人物の一人です。

アブラハムはハランの町を出たのですが、その生涯はまさに波瀾万丈で、一定の場所に永住することはありませんでした。幾度も移転をしています。

1960年、29歳の春。世俗老人は「オレゴン丸」という貨物船で、アメリカに向かって横浜港を出航しました。

最初の5日間は船酔いで食事をとることもできず、床にしがみついていました。あのような苦しみは二度と経験したくないですね。まさに波瀾(波の上で)の人生の始まりでした。

以来、4年で日本に戻る予定が、48年も住みついてしまいました。その間、シカゴに始まり、サンフアナンド、サンディエゴ、サンタクララ、そして再びサンディエゴと移転の旅でした。もうすぐ天国に永住することになるでしょう。

アブラハムは75歳のときに、国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、知らない地に向かって旅立ったのです。

世俗老人も77歳のときに不慣れなパソコン、知らないオンライン上(インターネット)の地を歩きはじめました。

アブラハムと世俗老人の共通点、それは、自分の計画ではなく、神様の御言葉に従って旅立ったとゆう事でしょうか。

吹上

2008年7月9日水曜日

吹上信一です。

こんにちは。

引退プロテスタント牧師、吹上信一です。

当年77歳、機械(コンピュータ)の操作もままならぬ後期高齢者の私ですが、ブログを始めてみました。

カリフォルニア州サンディエゴの地で老後を楽しんで過ごしている毎日です。数年前に死線を越えて、生きることの大切さを知り、悔いなく、充実した晩年を暮らしたく願っています。

日本からアメリカに渡り、48年間、牧師としての生活を送りました。その間、色々なことがありました。過去の思い出や、現在の生活で、見たもの、感じたことを後期高齢者の視点で認めていきたいと思います。

老体の身にムチを打って(?)、新しいことに挑戦することは、年を忘れさせてくれるでしょう。

世俗老人牧師のブログを読んでくだされば嬉しいです。

吹上