2008年8月7日木曜日

世俗老人の神学生時代

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

ヘブル12:11

母教会である、京都信愛教会(当時は岡本泰三牧師)より、同年に3名の献身者がありました。

O兄と私は関西聖書神学校(塩屋の神学校とも言われていた)に。K兄は他の神学校に入学しました。数年の社会生活から、神学生としての学びに戻ったわたしには、まさに苦学生でした。

毎日が学びに追われました。今考えてみれば、神学校での4年、そしてアメリカでの4年間の学びは、楽しいというより、学びに追われる苦しい年月でありました。このような中で、中途退学もせず

(やめたいと思ったことは度々あり)今日あることは、ただただ、神のあわれみによるのみです。

神学校は全員寄宿制度であり、上級生(下級生)との同部屋であります。年令も性格も違うので、大変よい訓練でもありました。入室早々に、講堂に導かれ「吹上兄、祈りましょう」と大声で祈られた時は、驚きと恐怖で一杯になつたことを今も覚えています。

学びのほかに、炊事当番があり、風呂のかまどの作業(薪で湯を沸かす)掃除(毎朝冷たい水で)がありました。ぞうきんをとるより、ほうきを先どる競争?もありました。午後の体育?は農作業であり、小麦やサツマイモ作りでした。

多くの収穫があり、食生活のヘルプになりました。沢村校長自らも作業に出ておられました。又各教会に遣わされて、日曜学校や司会、メッセージなどの奉仕活動がありました。このような経験は、その後農村教会の開拓に使わされたわたしには大切な学びであったと感謝したことでした。

吹上

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