2008年8月8日金曜日

開拓伝道時代

神学校を卒業して、伝道のために遣わされた教会は、岡山県の北部にあるO町でした。

教会は津山市と鳥取市の中間ぐらにあり、教会堂はなく、I兄姉宅が集会場になっていました。その集会は、毎週ではなく特別な牧師が来られたときに持たれていました。

そのような教会に、牧会経験のない新米者であるわたしが、はじめての定住牧師として遣わされました。都会生活しか知らないものが、農村伝道の、しかも開拓といってよい働きをするのです。

当時はテレビもなく、娯楽のすくない農村でしたので、集会には多くの子供たちが来てくれました。日曜日には礼拝を終えてから、各村々で子供集会を持ちました。またその後大人の集会をすることもありました。

一日に9回のご用をしたことでした。G村では一日の畑仕事を終えて、食事を済ませてから提灯をさげて婦人方が集われました。わたしは集会を終えて帰宅するのですが、雨の日には自転車(自動車でない)がすべり、田んぼのなかに落ちそうになった事もありました。

それも若さのゆえに楽しい開拓伝道でした。救われた若い人々も加えられて、青年会はにぎやかで活気がありました。

吹上

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