2008年8月2日土曜日

世俗老人の幼年時代

私は自分が誕生した時の(ベビーの)写真をみたことはありません。

貴重な写真として残っている一枚だけの写真があります。礼拝後に多くの方々と共に、母のひざに座している1才ぐらいのものです。今の面影はなく、ぽちやっとした丸顔で、めがくるっとして可愛い?幼児に見えます。

わたしの名前は信一ですが、両親の出席していた教会の小川牧師が命名してくださいました。

クリスチャンホ−ムに生まれ、親に、教会の方々に愛され、祈られ、育てられました。牧師は「この子が神様に用いられるものになるように」と頭に手をおいて祈られたというのです。

日曜日の朝になると、妹と一緒に教会学校(サンデースクール)に行きました。教会堂はなく、家の集会でした。その家の前で、タイコをたたき、集会の案内がされていました。今もそのときの歌を覚えています。

  1 まもなくかなたの ながれのそばで
    楽しくあいましょう またともだちと

    (おりかえし)

    神さまのそばの きれいなきれいな川で 

    みんなで集まる日の ああなっかしや

  2 水晶よりすき通る ながれのそばで
    主を賛美しましょう みつかいたちと  (聖歌687)

生まれる前(胎児)から教会に通い、生まれたときから母親に抱かれ、賛美歌を子守うたのように聞きながら、礼拝を守る事が出来ました。そうでないなら、後日信仰に導かれたかどうか分からないからです。

このように育ててくれた両親に心から感謝するものです。

吹上

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