2008年7月31日木曜日

孫たちと遊ぶ

孫たちの顔がみたくなり、ニクソン図書館の近くに住む娘一家を訪ねました。

孫たちは私を「おじいちゃん」と呼んでくれます。

グランパーと呼ばれるよりは「おじいちゃん」といわれるほうが心に(頭に?)ジーンときます。日本語は「おじいちゃん」だけで、あとの会話は英語です。

世俗老人の偽らざる心境です。

娘に、散歩道にもなっている大きな公園に案内してもらい、孫たちと楽しく遊ぶことができました。またよく歩き、かけっこした夕方でした。

歩きすぎてのどが渇き、途中でフローズンヨーグルトを食べ、孫たちは大喜びでした。どの子どもも甘いものには目がないようです。

沈みゆく夕日もきれいでした。大きな池には水鳥が泳ぎ、のどかで、平和な風景でした。

その夜、孫達が床に入る前に、私に大きなハグをしてくれ、I love you と言ってくれました。一日の疲れが飛んでいくようでした。

孫たちと一緒に過ごすと、若さのパワーを与えられた気分になります。

また明日も希望にあふれて生きていこうと思った半日でした。

吹上

2008年7月30日水曜日

魚釣り

今からあなたは人間をとる漁師になるのだ

ルカによる福音書5:11

父と京都の嵐山でよく魚釣りをしました。子供の頃の楽しい思い出の一つです。

私の住むサンディエゴでは、冬の寒い早朝によく釣れるのがマスです。若いときは、休日になると、その寒さも苦にならず、朝早くから出かけたものです。(今は、その寒い朝が世俗老人の体によくないようなので行かなくなりました)

魚釣りの醍醐味は釣った魚を食べるというよりも、釣れたときの感触でしょうか、釣竿のゆれには毎回心がおどります。

桟橋から海釣りをしたこともあります。

今でも忘れられない一つのことは、サバが釣れたこと、その数51尾です。(本当です、サバはよんでいません(笑))他の人はそれほど釣れないのに、私は入れ食いでした。そのときの餌は(よく人がどんな餌かと問いました)腐りかけたサバでした。そのにおいに魚が集まってきたのでしょうか?

ペテロが漁に行ったが、その夜はなんの獲物もなかったのです。ところがイエスのことばに従って網をおろしたら大魚で、その数は153尾でした。(ヨハネ21:3−14)わたしの3倍の魚です。(よく数をかぞえたものです)

私が献身に導かれた聖書のみことば「今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」(ルカ5:11)このみことばによる召しの確信が、今まで、わたしを支えてくれました。神に感謝しています。

吹上

2008年7月29日火曜日

アブラ(ハ)ムとロト

アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼とともに行った。

創世記12:4


この二人の関係は伯父と甥であります。

アブラムの旅立ちは、主が言われたことばに従ったことでした。それは信仰による服従でありました。しかも、どこに行くのかも知らないで出て行くのです。(ヘブル11:8)

甥のロトには、そのような決断はなかったようです。信頼できる伯父さんと一緒に行くほうがよいのではという、自分の意志による行動のようです。

神のみこころに従った人生と、自分の意志だけで生きようとする人生には、長い人生の結果に大きな違いがあります。

朝ごとに「今日も、神様のみこころに従う一日でありますように。最善に導いてください」と祈るものです。そこに心の平安があり、喜びがあります。

吹上


【今日の聖書の御言葉】

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる」(イザヤ55:8)


「わが道を行く」のではなく「神の道を」神のみこころを求め、そのみこころに従う歩みでありたいと願います。

2008年7月28日月曜日

世俗老人の家庭菜園

裏庭に出て、朝顔や花を見るのも楽しいですが、やっぱり木の実や野菜の成長はうれしいです。

ネクタリンはたった二個の実ですが、その色の美しさは目を楽しませてくれます。昨年百以上の実を結んだ柿の木は5個だけです。貴重なので、鳥に食べられないようにと見守っています。

キューリは2本の収穫。トマトはやっと実がつき始めました。今年は家内の大好物のカボチャがたくさんの収穫がありそうです。

先週ブログにも書きましたが、毎朝レモン湯を飲んでいます。レモンの木は大きな枝が二本も折れてしまったほどに、たわわに実をつけています。ネギやニラも育ち、料理のときにすぐに役立って便利です。

オクラもそろそろ食卓に並びそうです。わたしの好物です。高菜のシーズンは終わりましたが食べきれないほどの収穫がありました。(これは毎年種が落ちて育ちます)

地面下にはジャガイモ、サツマイモ、こいもが育っています。葉だけで実の成長が見えないのが残念です。

木の実や野菜だけでなく、そこに鳥や虫、チョウチョも飛んできてくれます。

にぎやかなで、手入れも楽しいわが庭です。

吹上

2008年7月26日土曜日

世俗老人の健康管理(運動と睡眠、神との交わり)  

近くのジムに通い、機械(トレッドミル)の上を30分歩きます。そして水泳というより水の中を歩きます。

たまに家のまわりを散歩します。家内と一緒にきれいな花を眺めての散歩もよいもの、楽しいものです。

私は朝型ですから、夜は10時頃になると眠くなります。

どうしても寝不足になりますので、昼寝をすることにしています。若い時にはできなかった贅沢な老人の特権ですね。

すこし食に気をつけ、歩き、眠るという平凡な、人様と変わりのない生活をしています。兎に角、無理をしないようにしています。と言っても、無理もできない体になりましたが..

そして私が一番大切にしているのは心の健康管理です。不安や心配があると、健康にもよろしくありませんね。

わたしの心を養って下さるお方によって喜びが湧いてきます。毎日心を静め、聖書を読み(家内とともに)祈り、神様との交わりを楽しんでいます。

吹上

心に憂いがあればその人をかがませる 心に楽しみがあれば顔色も喜ばしい、心に憂いがあれば気はふさぐ

箴言

2008年7月25日金曜日

世俗老人の健康管理(食事)

朝は熱いお湯にレモン汁を入れて飲むことを習慣にしています。甘味は砂糖ではなくPure Stevia(自然の甘みとのこと)を使用します。

それと朝夕二回、家内流のジュースを飲みます。

その日によって味が違います。それは何を入れるかの規定がないからです。

レモン、りんご、人参、キャベツ、パセリ、セロリ、蓬、ニンニク、ファイバー、グリンマグマ(Green Magma)その他。家内の愛のビタミンが豊富に含まれてます。是非、飲みにきてください。おいしいですよ。

昼は、麺類が多いです。

夕食は魚、野菜が中心です。ごはんは雑穀入りの色とりどりごはんをよく噛んで一膳だけ頂きます。

白米は玄米の粕という人がいるようですが、たまに銀飯がたべたくなることがあります。

吹上

2008年7月24日木曜日

時に ..

時に主はアブラムに言われた

創世記12:1

わたしの父がガンの手術を受けて入院していた時、葬儀に出るよりは、まだ生きている間にと、短い訪日を二度しました。

その日、父はVサインをしながら召天したという知らせを受けました。天国での再会の希望はありますが、やはり愛する父との死別は悲しい時でありました。

人生には様々な悲しみや、試練、苦難があります。そのような「時」は人生の危機でもあり、また、よいチャンスであることがあります。

上の創世記のみ言葉の「時」とは、アブラムにとっても父と死別するという悲しみの時でした。

アブラムはその「時」に、主の語られることばを聞きました。そこから彼の新しい人生、神に従う一歩をふみだしたのです。


自分が死んでも不思議でない事故から守られ、また心臓病の死のふちの病からいやされた時、神様が語りかけてくださり、再献身へと導かれたことでした。

人生の様々な体験をするその「時に」、人の声ではなく、静かに語られる神様の御言葉を聞き、さらにませれる人生へと導かれたいものです。

吹上

2008年7月23日水曜日

ヨブの終りの倖せは

NHK短歌の番組を見ていて、心に残った一句があります。

  現身に
  ヨブの終りの
  倖せは
  あらずともよし
  しぬびてゆかな    津田治子


ヨブについては、旧約聖書ヨブ記の書かれています。苦難の中に置かれている人には慰めとなる書です。

ヨブの人生は、次々と苦難が襲います。所有物(動物)が奪われ、働き人が殺され、10人の子供たちも大風によって倒れた建物の下で亡くなります。

自らも足の裏から頭の頂まで腫物で悩まされ、彼の妻は試練に耐えられず「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神を呪って死になさい」と言いました。

ヨブは自分を呪うことはあっても、神をのろう呪うことはしませんでした。その忍耐の結末は「以前にも増して祝福された」と記されています。

短歌には

  ヨブの終りの
  倖せは
  あらずともよし

とあります。ヨブのような祝された結末がなかったとしても、なおも忍んで生きようと歌っておられます。

どのような人生の結末であっても..

吹上

【今日の聖書の御言葉】 

最後まで耐え忍ぶ者は救われる 

マタイによる福音書10:2


2008年7月22日火曜日

Aさんのメモリアルサービス

人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない

ペテロ第一の手紙1:24−25

Aさんのメモリアルサービスに出席しました。

葬儀社のチャペルの正面に遺骨と、笑顔で列席者を見ておられるように感じるAさんの写真が置かれていました。

いつも礼拝におだやかで、笑顔で出席されていたあの頃のことを思い出します。Aさんは何の苦労もなく、人生を生きてこられた方のように見えました。しかし、32歳のときに、渡米され、英語も分からず色々な試練の中を通られたようです。

Aさんは絵画を学ばれ、度々コンクールなどで入賞されていたようです。Aさんご自身が描かれた絵はがきを頂きましたが、今でも大切にしています。

3ヶ月前に、結婚65年になるというご主人を天に送られ、この7月にご自分も召天されました。

Aさんの晩年は〈86歳で)オレゴン州でやさしい夫や、息子、娘さんたちに大切にされ心満ちた日々を過ごされました。

メモリアルサービルで歌われた賛美は「驚くばかりの」(Amazing Grace)でした。

自分死を厳粛に考え、死への備えをしなければと教えられました。死は終わりではなく、天国への'幸いな旅立ちであります。

Aさん天国でお会いしましょう。

吹上

2008年7月21日月曜日

祝福の基

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう

創世記12:2

ハランを旅立ったアブラハムの生涯は、試練や苦しみがありました。しかし、それだけではなく、主は祝福の約束を与えられました。

人として、悲しいことばは「その人は生まれなかった方が,彼のためによかったであろう」と言われることでしょう。そうではなく「祝福の基」となる人生を歩めることは幸いです。

人生は苦しみだけではなく、その痛みを通って、それ以上の祝福に導かれることがあります。

ヤベヅのように「私を大いに祝福してください」と、神に祈り求め、家庭の中で、職場で、学校で人々に祝福をもたらすものになりたいと願うものです。

吹上

2008年7月17日木曜日

死線を越えて

アメリカに戻り、5週間後に、こちらの病院で手術を受けました。

日本と同じく血管をひろげて、ステント〈細い鉄の管)を入れる手術です。明日は帰宅できると軽い気持ちで手術室に入り、笑いながら会話をしていたことを覚えています。

そのうちに麻酔が効き、意識がなくなりました。

手術は長い時間かかりました。その日の事はあまり憶えていないのですが、家族の話では、術後の夜は食事もして、元気そうだったということでした。

ところが翌日になって体調が急変し、救急車で別の病院に移動し、集中治療室(I.C.U.)に運ばれました。肝臓の機能が完全に停止したというのです。死の危険があり、娘夫婦たちが見舞いにくるので、最後の別れに来たのかと思ったことほどでした。(後日、本当にそうだった事を知らされました)

7日後に退院がゆるされ、やっと歩ける状態で帰宅する事が出来ました。その背後には多くの方々の熱心な祈りがささげられていたのでした。その後も薬の副作用や体調のよくない日々もありました。家の前で意識を失って倒れ、顔面を傷つけたこともありました。

二年半後の今、私は元気に生きています。いや自分で生きるよりも、神に生かされている日々と言えましょう。この世で何かすることが残っている限り生かされるのでしょうね。一日一日を大切に、感謝と喜びにあふれて生きたいと願っています。

修養会の講師と招かれたとき、H師は「死線を越えた牧師」と紹介してくださいましたが、今は只、生きてるだけでもうけものの人生を歩ませて頂いている世俗老人です。

吹上

2008年7月16日水曜日

世俗老人の健康管理(1)

世俗老人も例外なく、体に変化が〈老化)が起こっています。

食べること、運動することに気をつけなければなりません。でもよく食べ、座り続ける生活をしています。

体重はメタボ基準を超え、足も弱ってきました。わたしは走ることに自信があり、陸上競技の選手でしたが、今では歩くにも息切れする様になりました。

2006年。40数年ぶりに、日本でのお正月を迎えました。元旦の京都駅で胸の痛みを覚えました。どうにか階段を上りきり新幹線に乗って、西明石での礼拝を守る事が出来ました。

その午後に宿泊した家の息子さんが医師で、私の胸の痛みの状態を話すとすぐに検査が必要だということで言われ、その日のうちに病院に連絡をとって下さいました。

翌日〈新年の2日目)検査の結果、そのまますぐに手術となりました。それは心臓につながる血管が4ヵ所つまりかけていたのです。

血管を広げ、そこにステントを入れて、血の流れをよくするのです。当日は2ヵ所だけで、後はアメリカで手術をするようにとのことで、一夜の入院で帰宅がゆるされたのでした。

アメリカでの手術後は死線をさまよいました。以来、世俗老人が庭の手入れ以上に、気を使うことは健康管理なのです。

吹上

2008年7月15日火曜日

朝顔


人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉はとこしえに残る

ペテロ第一の手紙1章:24−25節

わが家の裏庭には、色とりどりの花が咲いています。今の時期は朝顔を見るのが楽しみです。

花のいのちは短いですね。その美しい朝顔も夕べにはしぼみます。

加賀千代女の「朝顔に つるべとられて もらい水」という有名な俳句があります。わが家に井戸はないのですが、松の木、ツバキ、バラ、フェンスその他、いたるところにつるがからみついています。

つるは上に這い上がり、花は顔を上に向けています。わたしも朝ごとに、顔と心を天に向け、神様との交わりを楽しんでいます。

吹上


2008年7月14日月曜日

気分転換

最近は読書の後、気分転換のために、小さい庭の手入れをしています。

花以外に、果物、野菜も植えています。

レモン、柿、ビワ、その他。トーマート、カボチゃ、キューリ、ニラ、春菊、ネギ、ジャガイモ、オクラその他。自分で作ったものを食べるのはうれしいものです。

人様に差し上げるほどの収穫がないので申し訳ないです。


吹上

2008年7月13日日曜日

遅読のすすめ

「どんな趣味ですか」と聞かれると、無芸なわたしは「読書」と答えています。

退職前は仕事に関係する本でしたが、今は、何でも本なら読みたいという乱読型です。

以前は速読でしたが、先日から遅読にしています。

それは「遅読のすすめ」という本を読んで感じたことがあったものですから..。

吹上

2008年7月12日土曜日

世俗老人の幼少時代

涙の子は滅びない  アウグスチヌス

アブラハムは、かつてはアブラムとゆう名前で、後日アブラハムと改名しました。

私の名前は信一ですが、アメリカに住むようになって、スポンサーの家族が、フランクと改名してくださいました。

子どもの頃、教会の日曜学校(サンデースクール)で、このアブラムのお話を聞き、「その名前の終わりに「シ」をつけたら油虫だ。」と思ってしまって以来、忘れられない人物となりました。

油虫の別称「ゴキブリ」とシカゴ時代に同居していたことがありました。夜中に起きて電気をつけると、パーッと逃げていくのです。

「ワッー」と叫んで、足で踏みつけるのですが、その逃げ足の早さたるや、私が子供のときに、いたずらをして逃げる時とほぼ同じ速さでした..

世俗老人の幼少時代は、人並み、否それ以上な悪ガキでした。そんなわたし私がキリスト教信仰を持つことができたのは、両親の祈りでありました。

アウグスチヌスは自分の半生を振り返って「涙の子は滅びない」と証しをしたそうです。

両親の涙の祈りはすごいですね。力がありますね。

子どもや子育てで悩んでおられる方がおられますか、今日から祈り始めてみませんか。必ず、神様が救いの手を差し延べてくださいます。


フランク・吹上

2008年7月11日金曜日

ロサンゼルスへ

昨日は牧師会があったので、家を7時にでてロサンゼルスへ。

今日と明日は南カリフォルニア大学(USC)で行われる、北米ホーリネス教団の教団総会に出席します。

土曜日にサンディエゴに戻ります。

吹上

2008年7月10日木曜日

アブラハムと世俗老人

信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った

ヘブル人への手紙11:8


旧約聖書に登場するアブラハムは、私の好きな人物の一人です。

アブラハムはハランの町を出たのですが、その生涯はまさに波瀾万丈で、一定の場所に永住することはありませんでした。幾度も移転をしています。

1960年、29歳の春。世俗老人は「オレゴン丸」という貨物船で、アメリカに向かって横浜港を出航しました。

最初の5日間は船酔いで食事をとることもできず、床にしがみついていました。あのような苦しみは二度と経験したくないですね。まさに波瀾(波の上で)の人生の始まりでした。

以来、4年で日本に戻る予定が、48年も住みついてしまいました。その間、シカゴに始まり、サンフアナンド、サンディエゴ、サンタクララ、そして再びサンディエゴと移転の旅でした。もうすぐ天国に永住することになるでしょう。

アブラハムは75歳のときに、国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、知らない地に向かって旅立ったのです。

世俗老人も77歳のときに不慣れなパソコン、知らないオンライン上(インターネット)の地を歩きはじめました。

アブラハムと世俗老人の共通点、それは、自分の計画ではなく、神様の御言葉に従って旅立ったとゆう事でしょうか。

吹上

2008年7月9日水曜日

吹上信一です。

こんにちは。

引退プロテスタント牧師、吹上信一です。

当年77歳、機械(コンピュータ)の操作もままならぬ後期高齢者の私ですが、ブログを始めてみました。

カリフォルニア州サンディエゴの地で老後を楽しんで過ごしている毎日です。数年前に死線を越えて、生きることの大切さを知り、悔いなく、充実した晩年を暮らしたく願っています。

日本からアメリカに渡り、48年間、牧師としての生活を送りました。その間、色々なことがありました。過去の思い出や、現在の生活で、見たもの、感じたことを後期高齢者の視点で認めていきたいと思います。

老体の身にムチを打って(?)、新しいことに挑戦することは、年を忘れさせてくれるでしょう。

世俗老人牧師のブログを読んでくだされば嬉しいです。

吹上