時に主はアブラムに言われた
創世記12:1
わたしの父がガンの手術を受けて入院していた時、葬儀に出るよりは、まだ生きている間にと、短い訪日を二度しました。
その日、父はVサインをしながら召天したという知らせを受けました。天国での再会の希望はありますが、やはり愛する父との死別は悲しい時でありました。
人生には様々な悲しみや、試練、苦難があります。そのような「時」は人生の危機でもあり、また、よいチャンスであることがあります。上の創世記のみ言葉の「時」とは、アブラムにとっても父と死別するという悲しみの時でした。
アブラムはその「時」に、主の語られることばを聞きました。そこから彼の新しい人生、神に従う一歩をふみだしたのです。
自分が死んでも不思議でない事故から守られ、また心臓病の死のふちの病からいやされた時、神様が語りかけてくださり、再献身へと導かれたことでした。
人生の様々な体験をするその「時に」、人の声ではなく、静かに語られる神様の御言葉を聞き、さらにませれる人生へと導かれたいものです。
吹上
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