2008年7月17日木曜日

死線を越えて

アメリカに戻り、5週間後に、こちらの病院で手術を受けました。

日本と同じく血管をひろげて、ステント〈細い鉄の管)を入れる手術です。明日は帰宅できると軽い気持ちで手術室に入り、笑いながら会話をしていたことを覚えています。

そのうちに麻酔が効き、意識がなくなりました。

手術は長い時間かかりました。その日の事はあまり憶えていないのですが、家族の話では、術後の夜は食事もして、元気そうだったということでした。

ところが翌日になって体調が急変し、救急車で別の病院に移動し、集中治療室(I.C.U.)に運ばれました。肝臓の機能が完全に停止したというのです。死の危険があり、娘夫婦たちが見舞いにくるので、最後の別れに来たのかと思ったことほどでした。(後日、本当にそうだった事を知らされました)

7日後に退院がゆるされ、やっと歩ける状態で帰宅する事が出来ました。その背後には多くの方々の熱心な祈りがささげられていたのでした。その後も薬の副作用や体調のよくない日々もありました。家の前で意識を失って倒れ、顔面を傷つけたこともありました。

二年半後の今、私は元気に生きています。いや自分で生きるよりも、神に生かされている日々と言えましょう。この世で何かすることが残っている限り生かされるのでしょうね。一日一日を大切に、感謝と喜びにあふれて生きたいと願っています。

修養会の講師と招かれたとき、H師は「死線を越えた牧師」と紹介してくださいましたが、今は只、生きてるだけでもうけものの人生を歩ませて頂いている世俗老人です。

吹上

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