あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい
テサロニケ人への第二の手紙4:11
使命。文字通り、命を使うと書きます。
ではどのように命を使ったらよいのでしょうか。自分のために、それとも人のために?
仕事のために、家庭を守るために、様々な生き方,使命がありますが、わたしは若い時に、神のために使うようにと導かれました。
どんなに目立たないことでも、忠実に努めることが私の使命であると思います。
吹上
カリフォルニア州サンディエゴに生きる引退プロテスタント牧師、吹上信一のブログです。
あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい
テサロニケ人への第二の手紙4:11
使命。文字通り、命を使うと書きます。
ではどのように命を使ったらよいのでしょうか。自分のために、それとも人のために?
仕事のために、家庭を守るために、様々な生き方,使命がありますが、わたしは若い時に、神のために使うようにと導かれました。
どんなに目立たないことでも、忠実に努めることが私の使命であると思います。
吹上
どう生きることが理想的でしょうか。
私は手に職(技術)を身につけて、たくましく生きている人に心を動かされます。
競争社会に生きるならば、一番になることでしょうね。
たとえ三十番目であっても、ベストをつくして、コッコッと学び続けるならば、悔いなく生きることになるのではないでしょうか。
たくましく生きたいものです。
お祈りを感謝します。日本に無事着きました。
21日(火)訪日の予定でありましたが、サンディエゴ空港で、濃霧のために飛行機はキャンセルになりました。
次回は24日(金)に飛ぶということで、3日間娘宅で休養ということになりました。そのために23日と25日の集会はできなくなりました。
26日は大原教会で礼拝ご用をし、28日は知人を訪問、そのあと東京に行き、M宅に着きほっとしたことでした。
29日はO師をお見舞いしました。(M 姉の案内で)
家内は、今のところ守られています。
この世に生をうけたものは必ず死に至ります。決定的であるこの死に対して解決が与えられているならば、人生を明るく生きることができるでしょう。
「死ぬ事を」を考えると、うれしくて、うれしくてと、大喜びするひとがおられるでしょうか?パウロは、信仰の迫害を受けて、獄の中に身を置いていました。それは、いつ死刑になるかも分からないという環境です。しかし、彼はこう言っています。
「生きることはキリストであり、死ぬことは益である」と。(ピリピへの手紙1:21)また「わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい」というのです。(同1:23)
生きることも実り多い働きであるのですばらしいことであるが、世を去ってキリストのもとに行く方がはるかによいことであるというのです。「死んだはずだよお富みさん、生きていたとは、、」とかなんとかいう 歌があったようですが、死んだはずの自我が、むくむくと頭をもたげてきて、人間関係をダメにしてしまうのです。
この自我に死ぬことが、私の最後の仕事であります。若い時にその経験があれば、どんなに生き方が違ったものになることでしょう。
毎日、キリストと共に死に、キリストの復活の命に生きるものでありたいです。私たちは、本日(10月21日)から訪日します。
コリント第二の手紙1:3−4
神は慰めに満ちたる方です。
裁きたもう厳しい神ではなく、慰めに満ちたる方であるというのです。実に甘美な、最も励ましを与えてくださる方です。
痛み(腰)とかゆみ、まだ少しありますが、出来るだけ軽い荷物で明日から訪日したいと思います。
では、行って参ります。
吹上
わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう
ヨブ記1:20
わたしたち夫婦は、物の整理が下手なため、ガラクタが溜まるばかりです。三女の家に行くと、実にきれいな台所、机の上も片づいています。
不要なものを捨てればよいのですが、物質の乏しい戦後の時代に育ったものですから、いつか使えるのではないか、もったいないということで増えるばかりです。ステチャエ(捨てちゃえ)と、思い切ればよいのですが、そのつもりで集めたものを(家内が)目で見るとまた取り出すわたしであります。
これではいつまでも家の中や、机の上も片づくことはないでしょう。
何一つ持たず裸かで、この世に生まれ、また何一つ持たずに、この世を去るのです。この現実に目を向けると「ステチャエ」が出来るのではないでしょうか。そう思いつつ、まだまだかしこには行かないと考えてしまうのです。
片づける時がきているのです。一日一日と天国は近づいています。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい
老いるということは、肉体的に(精神的、頭脳的も)いろいろと試みられることであります。その痛みや試練、変化の中で、喜びと感謝を持って生きる老夫婦であります。
吹上
ネヘミヤは祈りの人でありましたが、また優れた指導者であり、その指導力にも教えられることです。近隣の人々のおどしや、抵抗、いやがらせを排除して、大工事をする部隊を守り、励まし、導いていくのです。
しかも、52日間という短期日で城壁を完成させました。それは、彼に指導された民の心からの協力、働きがあったからです。
「こうしてわれわれは城壁を築いたが、石がきはみな相連なって、その高さの半ばにまで達した。民が心をこめて働いたからである」(ネヘミヤ記4:6)
祖国エルサレムの城壁はくずされ、門は火で焼かれたままであるという報告を、異国で聞いたとき「すわって泣き、数日のあいだ嘆き悲しみ、断食して天の神に祈って言った」とあります。(ネヘミヤ記1:3−4)
その祈りは「どうぞ耳を傾け、目を開いてしもべの祈りを聞いてください。、、昼も夜もみ前に祈り、、、主よ、どうぞしもべの祈りと、あなたの名を恐れることを喜ぶあなたのしもべらの祈りに’耳を傾けてください」(同1:6−11)というのです。ネヘミヤは、当時アルタシャスタ王の献酌者であり、王に信頼されていました。(毒薬を入れろこともできる立場)
王の許可を得た彼は,期限を定めてエルサレムに出かけました。そこに着いたネヘミヤは三日滞在した後に、夜中ですが、町の城壁や,火に焼かれた門を調査しました。(同2章)その後、工事をする民たちの役割を決め(同3章)神の助けを得て、52日間で城壁を完成させました。(同6:15)
何の妨げもない中での作業ではありませんでした。さまざまな抵抗と妨害の中での突貫工事でありました。そのような苦難を乗り越えての完成でありました。
吹上
「人気が人気をよび、人が人をよぶ」という初代社長の言葉のとおり、人々に人気のあった店でした。だが時代の波に乗れなかったのでしょうか、多くの人々に惜しまれながらの閉店となりました。
「人が人をよぶ」を教会にあてはめた時、礼拝で恵まれた人、喜びにあふれた人が、人を導くのではないでしょうか。
教会の成長を祈ります。
吹上
愛と恵みに満ちたもう父なる神様
アーメン
「立て、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまでとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」(マタイによる福音書2:13)
行くべきか、とどまるべきか、この決断をするのはむずかしいことであります。
気の早い私は、神のみこころを問わず、祈りもせずに決断したことで失敗したことの多いものです。しかし、失敗しても悔い改めて、神のみこころに従うならば、その事も益に変えられることを学びました。
吹上
百万人の福音に掲載されていた、熊谷めぐみさんの証しに感動しました。熊谷さんは2年間におよぶ闘病生活から、光の世界へと救い出された方です。
私と同じ「うつ」の経験があり、医師からは「治らないかもしれない」という宣告をうけられました。その苦しみや、どうして自分だけがこんなつらい目にあうのかという嘆き、いやされたいという焦りに悩まされるなど、うつの経験者でないと理解できない心境などが心を打ちました。
吹上
「犬の落し物(うんち)」から学んだ事を書かずに、他の人の月曜日のことを書きました。
そんな世俗老人の日々でありたいです。
吹上
著者はスラム街で、強盗に襲撃されるという危険な中で22,000人の教会学校を作り上げた人です。
現代の教会には子供が集まらないと言われているにもかかわらず、多くの子供たちが喜んで参加しているのです。
私はクリスチャンホ−ムに生まれ、教会学校には物心がつく前から出席していました。その幼い時に学んだ聖書の話しが、今のわたしになる基礎となり、信仰生活を支えてきました。幼いときから聖書を学んだことが大きな力となりました。
神学校時代、また卒業後も、一番力を入れたのは教会学校でした。子どもが好きでしたが、それ以上に子供の魂に聖書のみ言葉を届けたいという思いがあったからです。
今頃の子供たちは日曜日に教会学校集まらないと聞いています。何とか工夫して、祈って、子供たちに伝道をしてほしいと願います。
子どもたちを神様のみもとに導きましょう。
10月5日(日)サウスベイの教会(安藤秀世牧師)で、礼拝ご用をしました。
その時に学生としてサンディエゴに住んでいて、祈祷会に出席していた小田原総司君(今はトーレンスにあるドミンゲスヒル州立大学生)の洗礼式がありました。
学生寮に入るお手伝いをしたときに、「君が洗礼を受ける時はしらせてほしい」と言った事を覚えていて、(不覚にも私は忘れていました)安藤牧師にそのことを伝え、それで洗礼式に来られるのならば、メッセージと洗礼式、聖餐式を二人ですることになりました。礼拝のメッセージは、子供と一緒の礼拝(月一回)日であるから、子どもに分かるように話してほしいというリクエストがありました。ところがアメリカ生活48年の間、日本語で子どもにお話しをしたことがないので、どう準備してよいのか見当がつかず困り果てました。
祈りました。
大人の礼拝では、きちんと原稿を書く習慣がついています。しかし、今回はその原稿がどうしても書けずに講壇に立ちましたが、聖霊様の導きと助けにより、自由に語ることができました。
洗礼式は、喜びのときであり、特に天上においても大いなる喜びがある時です。受洗した本人にも感動の時であります。帰宅したわたしに、総司君からメールがありました。「こいぬのうんち」DVD(ビデオメーカー)についての記事の中で、Fさんはこのように書いておられます。
他人の犬の落し物を、毎日始末させらているうちに、ノイローゼ状態になられたというのです。月曜日といえば、多くの牧師たちは休みの日です。
私は、ネコもいなくなったので、落し物の始末はなくなりました。毎日が休みの日(引退牧師生活)で、楽しくあれや、これやとやりながら生きています。
引退世俗老人の日々は感謝と喜びで満ちています。
吹上
昨日その診察日であり、Dr.Gによる診察を受けました。EKGによる検診もしました。
診察が終わり、帰りかける私にDr.Gは「77才にしては元気だなー」と言われました。「どうして年令がわかるのか?」と問うと、コンピユータを指さして「ここに書いてあるよ」と笑っていました。
こちらもほめられたので、笑顔で「そうですか」と答え、握手して別れたことです。死線を越えてからは、本当に強められています。手術前は、疲れやすく、目まいがし、活気がない生活でした。今は、自分でも元気になったなーと驚くほどです。
特に食べるものにも気をつけていません。運動も休みがちです。(家内の首痛のため)くよくよしない、いつも喜び、すべての事を感謝して生きています。心配すればきりがありません。神にすべてをゆだねて、思い煩わないことです。
これが世俗老人の元気な秘訣でしょうか。
吹上私の時は、あなたの御手の中にあります
詩篇31:15
今朝の聖書通読のときに、心に残った御言葉です。
「時は」とあります。詩人は悩み、苦しみによって、身も心も衰えており、消え行くような時に置かれていました。
私の人生にも、悲しみの時、苦しみの時、悩みの時、人に捨てられる時、いろいろな時がありました。
たとえ、すぐに助けてくださらないように見える時も、御手の守りを信じて、心安らかに信頼していきたいです。赤ちゃんが、母の腕の中に安らかに眠っているように。
み手の中で 全ては変わる感謝に
我が行く道に 現わしたまえ
あなたのみ手の業を【リビングプレイズ13番より】
私の大好きな賛美です。
吹上家内の首痛は、今も続いていますが、(9月24日に書きました)10日ほど前から、私も背中がかゆくて,痒くて戦いです。
首の痛みに比べると、とりあげるほどではないのですが、どんなことでもその本人は辛いのです。犬が、足で(手?)かきむしっている気持ちが分かるようです。血を流すほどです。(すこしおおげさかなぁー)
ブログを書くより、かゆみの解決が第一だと思いつつも、やっぱり何かを書かなければと、背中をかきつつ(頭も)ペンを走らせています。
もっと才能がなければならないと、あせって不幸せに沈んでいる人たちが案外多いかと思えば、試練や失敗に苦しんでいるように見える人たちの中に、ほんとうのしあわせに輝いている人が少なくないということも知りました。【トウルニエ博士の講演「人間性探求の旅」】
私の人生をふりかえってみれば、成功よりもはるかに失敗の多い歩みでした。
富とか才能とかを求めて、あせったりはしませんでしたが、失敗だらけの人生でした。でもその失敗を通して、自分の無力や傲慢を痛いほど教えられたことでした。
思うように事が進まないことによって、へりくだりを学んだり、神に祈り求めなければならないことを知りました。
しかし、そのようなことによって、人生が豊かになり、人間性を深め、人の痛みや悲しみに少しでも心から同情できるものになれるのではないでしょうか。