病院(日本)には4号室がないところがあるらしいです。4は死にとられて、病人や家族が喜ばないというのです。
わたしは、勿論肉体の死を考え、何時死がやってきても、神の前に立つ準備をするようにとの示しであると読みます、しかし、もう一つのことは「自我の死」と読むことにしています。
「最後に残された仕事は死である」と言われています。必ずやってくる絶対の死であります。
死後の確信をもっこと(永遠の命の確信)それとともに、自我に死ぬことも大きな課題であります。
「死んだはずだよお富みさん、生きていたとは、、」とかなんとかいう 歌があったようですが、死んだはずの自我が、むくむくと頭をもたげてきて、人間関係をダメにしてしまうのです。
この自我に死ぬことが、私の最後の仕事であります。若い時にその経験があれば、どんなに生き方が違ったものになることでしょう。
毎日、キリストと共に死に、キリストの復活の命に生きるものでありたいです。吹上
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