2008年10月29日水曜日

旅の目的は、神の国(永遠の聖国)

人が絶対ということばを使うとすれば、絶対に死ぬということでしょう。

この世に生をうけたものは必ず死に至ります。決定的であるこの死に対して解決が与えられているならば、人生を明るく生きることができるでしょう。

「死ぬ事を」を考えると、うれしくて、うれしくてと、大喜びするひとがおられるでしょうか?

パウロは、信仰の迫害を受けて、獄の中に身を置いていました。それは、いつ死刑になるかも分からないという環境です。しかし、彼はこう言っています。

「生きることはキリストであり、死ぬことは益である」と。(ピリピへの手紙1:21)また「わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい」というのです。(同1:23)

生きることも実り多い働きであるのですばらしいことであるが、世を去ってキリストのもとに行く方がはるかによいことであるというのです。

生きることが辛いのではなく、死後の希望のゆえに、永遠に生きるという確信のゆえに、喜んで死を迎えることができるというのです。

地上の生活は旅であり、限られた年月であります。旅の目的は、神の国(永遠の聖国)であります。そこに神と共に住むのです。

吹上

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