2008年8月27日水曜日

わたしの平安(2)

死を前にしても奪われない平安、それはどのようにして得られるのでしょうか。

イエスさまは、次のように語れました。

「わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない」(ヨハネ14:30)

「この世の君」とはサタンでありますが、イエスさまに対して何もすることができなというのです。それゆえに十字架刑の死を前にしても平安を持っておられました。

「わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである」(同14:31)

イエスさまが、父なる神を愛し、全く服従しておられるお姿です。

この神への信頼、全き服従、そして神を愛し、神に愛されている確信のゆえに、どのような苦難の中にあっても、また死を前にしても奪われない平安を持っておられました。

「わたしをつかわされたかたは(父なる神)わたしと一緒におられる。わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置きざりになることはない」(ヨハネ8:29)

神と一緒におられるということから来る平安です。

聖歌の中に「主のやすき 主のやすき

        われはうちに 今もてり」とあります。

明日ではなく、今、あなたは主イエス・キリスト様の平安を持っておられますか。

吹上

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