2008年8月19日火曜日

「師」でなく「死」

わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである

ガラテヤ人への手紙 2:19−20

教会では、牧師である私の名前のあとには「師」がつきます。

吹上師

ある時、誤植で、「吹上死」と書いてありました。お詫びの電話を頂戴しましたが、私は大笑いをしたことでした。(読まれたひとは、まさかわたしが死んだとは思われないでしょうね)

この時、私は別の「死」(自我の死)を考えさせられました。

ある方が、生前に自分の葬儀をしてもらったということを読んだことがあります。死んでからではなく、生きているうちに、友人や知人に集まっていただきメモリアルサービスをするのも面白いことだと思いました。

思い出や失敗、欠点などを語ってもらうと、よい反省になります。残された余生が豊かな日々となるのではないでしょうか。

余生は、自我に死に、キリストに生かされる喜びにあふれて過ごします。

吹上

0 件のコメント: